【告知】 ゆるベジcafe 2月の営業のお知らせ
さてみなさまいかがお過ごしでしょうか。前回の更新から1週間空いてしまいました。気を引き締めていかねば!
かねてからお知らせしていたとおり、東京・十条のゆるベジcafeは2月をもって閉店となります。最後の営業は5日(日)と19日(日)となります。
いよいよ今週末! 今月のテーマを、もいっかい、行ってみよー♪
「ありがとう!身体もハートもあったかプレート」
ゆるベジcafeのサイト、こちらです。
↓2月のメニューはこちら↓
★ありがとう! 身体もハートもあったかプレート★
The にんじんのポタージュ (やまねえこと山根康子さん卒業制作)
ゆるベジ流オールインごパン(保育園の敏腕栄養士たまちゃんの卒業制作)
乾物クリームソースのパスタ (ほっこりおっとりなのにバリバリ理系のまいまい卒業制作)
こっくりおからと大根のホワイトサラダ(ゆるベジ界のマッドサイエンティストふみふみ新作)
なんちゃってベジ卵サラダ(同じくふみふみ新作、たまごじゃないのに驚きのたまご味!)
大根もちスティック (あな吉校長先生レシピ)
とうふのハーブオイル漬け (あな吉校長先生レシピ)
大豆メンチカツ (あな吉校長先生レシピ)
プロスク第一期卒業生の汗と涙の卒業制作もたっぷりあり、あな吉ファンのみなさまの熱い思いにおこたえするあな吉定番人気メニューあり、マッドサイエンティストふみふみの新作レシピあり、と盛りだくさんの内容です!
★バレンタインスイーツプレート★
ふわっふわ米粉100%アーモンドチョコケーキ (粉物スペシャリスト、ベルちゃん卒業制作)
イチゴのふるふるヨーグルト(乳製品不使用) (あな吉校長先生レシピ)
当日はわたくしも厨房に調理スタッフとして参加いたします。おそらくヒーヒーいいながら調理しまくっているものと思われます。
そうそう、プロスク第一期生の卒業制作レシピカードの販売も引き続き行なっています。
わたしの「とうふチャパティ」、「うめチャツネ」もあります。今回は新刷を業者さんに頼んだので、カードの質がすこしバージョンアップしての登場です!(明日届く予定。ドキドキ〜、どんな仕上がりかな)
そしてなんと、最後の大盤振る舞い! プレート類値下げ決行です!
ありがとう!身体もハートもあったかプレート
1280円→1000円
おまかせちょこっとランチ
580円→500円
バレンタインスイーツプレート
500円→400円
前回、予定食数が売り切れてしまい、せっかくお越しくださったのにお食事をご提供できなかったお客様が何組みかいらっしゃいました。今回も最後ということで混雑が予想されます。「ゆるベジcafe」のサイトから予約を承っておりますので、ぜひご利用くださいませ。
それではみなさま、お待ちしております! あ、クミンおからナムキーンは、写真の用意まではできております! 近日公開予定でございます!
寝る〜、おやすみなさいっ!!!
かねてからお知らせしていたとおり、東京・十条のゆるベジcafeは2月をもって閉店となります。最後の営業は5日(日)と19日(日)となります。
いよいよ今週末! 今月のテーマを、もいっかい、行ってみよー♪
「ありがとう!身体もハートもあったかプレート」
ゆるベジcafeのサイト、こちらです。
↓2月のメニューはこちら↓
★ありがとう! 身体もハートもあったかプレート★
The にんじんのポタージュ (やまねえこと山根康子さん卒業制作)
ゆるベジ流オールインごパン(保育園の敏腕栄養士たまちゃんの卒業制作)
乾物クリームソースのパスタ (ほっこりおっとりなのにバリバリ理系のまいまい卒業制作)
こっくりおからと大根のホワイトサラダ(ゆるベジ界のマッドサイエンティストふみふみ新作)
なんちゃってベジ卵サラダ(同じくふみふみ新作、たまごじゃないのに驚きのたまご味!)
大根もちスティック (あな吉校長先生レシピ)
とうふのハーブオイル漬け (あな吉校長先生レシピ)
大豆メンチカツ (あな吉校長先生レシピ)
プロスク第一期卒業生の汗と涙の卒業制作もたっぷりあり、あな吉ファンのみなさまの熱い思いにおこたえするあな吉定番人気メニューあり、マッドサイエンティストふみふみの新作レシピあり、と盛りだくさんの内容です!
★バレンタインスイーツプレート★
ふわっふわ米粉100%アーモンドチョコケーキ (粉物スペシャリスト、ベルちゃん卒業制作)
イチゴのふるふるヨーグルト(乳製品不使用) (あな吉校長先生レシピ)
当日はわたくしも厨房に調理スタッフとして参加いたします。おそらくヒーヒーいいながら調理しまくっているものと思われます。
そうそう、プロスク第一期生の卒業制作レシピカードの販売も引き続き行なっています。
わたしの「とうふチャパティ」、「うめチャツネ」もあります。今回は新刷を業者さんに頼んだので、カードの質がすこしバージョンアップしての登場です!(明日届く予定。ドキドキ〜、どんな仕上がりかな)
そしてなんと、最後の大盤振る舞い! プレート類値下げ決行です!
ありがとう!身体もハートもあったかプレート
1280円→1000円
おまかせちょこっとランチ
580円→500円
バレンタインスイーツプレート
500円→400円
前回、予定食数が売り切れてしまい、せっかくお越しくださったのにお食事をご提供できなかったお客様が何組みかいらっしゃいました。今回も最後ということで混雑が予想されます。「ゆるベジcafe」のサイトから予約を承っておりますので、ぜひご利用くださいませ。
それではみなさま、お待ちしております! あ、クミンおからナムキーンは、写真の用意まではできております! 近日公開予定でございます!
寝る〜、おやすみなさいっ!!!
【告知】2月のゆるベジカフェテーマ発表&第1回ジャハイラ家カレー大会
さて先日、ゆるベジプロフェッショナルスクール第一期生、つまり、現ゆるベジマイスターの皆々様が集結して、第1回ジャハイラ家カレー大会が開催されました。スパイスを基礎から学べる講義つきで、この日以降、みなさんバリバリ、スパイスを使いこなせるようになりました。
嘘です。嘘ですから! ゴメンナサイ!
わたくしの準備不足から、講義なんてものはほとんどなく、ほぼわたくしが黙々と数時間かけてカレーをつくり、みなさまにお出ししたイベントでした。すきっ腹抱えたまま何時間も待たせてすみませんでした。
ええええ、「忙しい」という言葉は無能な人間が使うのよ! と日頃息巻いているわたしですが、この週は会社の仕事も家のことも本気で忙しかったデス。手帳を開くたびこのイベント関連の付箋が目に入るのだけど、着手に及ぶまでに数々の別の付箋をクリアせねばならず。そもそもスキマ時間がほとんどなく。そういうこともありますな。当日朝は家の掃除と片付けに専念して、料理には手を付けず、みなが集まってから、やおら腕まくりした次第です。
しかし! このイベントには陰の目的がありました。それは、「2月のゆるベジカフェのメニューその他もろもろを決める!」
ズバリ、テーマは
「ありがとう!身体もハートもあったかプレート」。
営業は2月5日(日)及び2月19日(日)の二日間です!
先日の1月15日の営業の反省を踏まえて、慎重に話し合いを進めるみんな。それを聞きながら、台所でひとり、テンパりながら黙々とお料理をするわたくし。ぼかあ、幸せだなァ。ほんとうに。一日中スパイスに囲まれて料理だけしていればいい身分になれたらどんなに幸せか。ヒトサマに食べていただくのも嬉しいのだけど、わたしは心からスパイスたちと、それを使ったお料理が好きなんですね。癒されます。
この日のお品書き。

3時間待たせて、前半のベジ料理パートのお料理完成。

ものの数分でこの状態に。写っている赤い書籍は、かねてより敬愛するカレー伝道師・渡辺玲さんの著書で、わたしのバイブルでもある名著「カレーな薬膳」(晶文社刊)。サンバル、ラッサム、クートゥはこの本のレシピからつくりました。インドにもロンドンにも持参して、最後はロンドンから陸路でシベリア鉄道や貨物船やらにずっと一緒に乗って日本に帰ってきた愛しい本です。渡辺さんのサイン入り(ウフ)。

ノンベジお料理。メカジキのクミン焼き。わたしの適当レシピ。ピチットで水気を抜いたメカジキに、ターメリックとクミンと塩を塗り込みサッと焼いたもの。

超ノンベジお料理。アフガニーチキン(アフガニスタン風チキン)。ヨーグルトベースのスパイス漬け汁にひと晩漬けたチキンを高温で焼きます。エキゾ音楽ライター・サラーム海上さんのレシピを参考にジャハイラテイストも加えました。乳製品+お肉という、とっても背徳の香りがする美味しいお料理(笑)

そしてゆるベジマイスター・スイーツ部門のメンバーのスイーツ試作の数々。米粉100%のチーズスフレ(ベルちゃん)、 カントリーマアム風クッキー(ベルちゃん)、 米粉100%イチゴケーキ(ベルちゃんのアーモンドケーキを「りんごとさつまいものケーキ」のゆうこりんがアレンジ)、消化力(アグニ)ごはんのための餅粉スイーツ(ゆうこりん) 。Soyちゃんのビスケットも。

見てよこれ、チーズスフレ以外のナニモノでもないでしょう。でもベジなんですよ、乳製品不使用ですわよ奥さん!

ほかにも、ベジチキンナゲット(ふみふみ)、こんにゃく入りのパン(Soyちゃん)、 和風ポディー改良版(よねやま姐)、 酒粕チーズ(よねやま姐)と、マイスター集まりゃ、試作品持ち寄りの山。試食して、忌憚のない意見を言い合える、ほんとうに得難い仲間ですな。
わたくしも、「とことんクミン大研究」の一環として日夜研究に勤しんでいた「クミンおからナムキーン」を初お披露目しました。右手の包帯は、前夜、アフガニーチキンのスパイスを乾煎りしていたときに、疲労でホゲホゲしすぎて超高温のタワ(チャパティ焼き用のフライパン)を素手で掴むという愚行を犯し、親指の付け根にくっきり線が入るような火傷をしちまった次第(気をつけよう)。

最後は、少量だけ試し使いするために、仕入れた大量のスパイスを持ち帰り用にみなで小分けしているところ。うーむ。アヤシイなァ。

そんなわけで、充実の一日が過ぎました。
で、最後に重要告知!
近々、「クミンおからナムキーン」のレシピをこのブログ上で公開します!
「ゆるベジプロフェッショナル」を名乗る以上、将来、講座やレシピ提供をする際にはお代を頂戴することになるのですが、いま現在、いろいろ準備&修行中のわたくしを応援してくださるみなさまに、現時点でできるなにかを提供したいのです! というわけで、近日中に、このブログ上でも何度か登場した、クミンをたっぷり使えるレシピをご紹介したいと思います。
請うご期待〜。ねむい。寝ます。おやすみなさい! ああ、雪が積もっている。東京の脆弱すぎる交通網が心配。電車、動きますように。
(横位置の写真提供:よねやまゆうこさん)
嘘です。嘘ですから! ゴメンナサイ!
わたくしの準備不足から、講義なんてものはほとんどなく、ほぼわたくしが黙々と数時間かけてカレーをつくり、みなさまにお出ししたイベントでした。すきっ腹抱えたまま何時間も待たせてすみませんでした。
ええええ、「忙しい」という言葉は無能な人間が使うのよ! と日頃息巻いているわたしですが、この週は会社の仕事も家のことも本気で忙しかったデス。手帳を開くたびこのイベント関連の付箋が目に入るのだけど、着手に及ぶまでに数々の別の付箋をクリアせねばならず。そもそもスキマ時間がほとんどなく。そういうこともありますな。当日朝は家の掃除と片付けに専念して、料理には手を付けず、みなが集まってから、やおら腕まくりした次第です。
しかし! このイベントには陰の目的がありました。それは、「2月のゆるベジカフェのメニューその他もろもろを決める!」
ズバリ、テーマは
「ありがとう!身体もハートもあったかプレート」。
営業は2月5日(日)及び2月19日(日)の二日間です!
先日の1月15日の営業の反省を踏まえて、慎重に話し合いを進めるみんな。それを聞きながら、台所でひとり、テンパりながら黙々とお料理をするわたくし。ぼかあ、幸せだなァ。ほんとうに。一日中スパイスに囲まれて料理だけしていればいい身分になれたらどんなに幸せか。ヒトサマに食べていただくのも嬉しいのだけど、わたしは心からスパイスたちと、それを使ったお料理が好きなんですね。癒されます。
この日のお品書き。

3時間待たせて、前半のベジ料理パートのお料理完成。

ものの数分でこの状態に。写っている赤い書籍は、かねてより敬愛するカレー伝道師・渡辺玲さんの著書で、わたしのバイブルでもある名著「カレーな薬膳」(晶文社刊)。サンバル、ラッサム、クートゥはこの本のレシピからつくりました。インドにもロンドンにも持参して、最後はロンドンから陸路でシベリア鉄道や貨物船やらにずっと一緒に乗って日本に帰ってきた愛しい本です。渡辺さんのサイン入り(ウフ)。

ノンベジお料理。メカジキのクミン焼き。わたしの適当レシピ。ピチットで水気を抜いたメカジキに、ターメリックとクミンと塩を塗り込みサッと焼いたもの。

超ノンベジお料理。アフガニーチキン(アフガニスタン風チキン)。ヨーグルトベースのスパイス漬け汁にひと晩漬けたチキンを高温で焼きます。エキゾ音楽ライター・サラーム海上さんのレシピを参考にジャハイラテイストも加えました。乳製品+お肉という、とっても背徳の香りがする美味しいお料理(笑)

そしてゆるベジマイスター・スイーツ部門のメンバーのスイーツ試作の数々。米粉100%のチーズスフレ(ベルちゃん)、 カントリーマアム風クッキー(ベルちゃん)、 米粉100%イチゴケーキ(ベルちゃんのアーモンドケーキを「りんごとさつまいものケーキ」のゆうこりんがアレンジ)、消化力(アグニ)ごはんのための餅粉スイーツ(ゆうこりん) 。Soyちゃんのビスケットも。

見てよこれ、チーズスフレ以外のナニモノでもないでしょう。でもベジなんですよ、乳製品不使用ですわよ奥さん!

ほかにも、ベジチキンナゲット(ふみふみ)、こんにゃく入りのパン(Soyちゃん)、 和風ポディー改良版(よねやま姐)、 酒粕チーズ(よねやま姐)と、マイスター集まりゃ、試作品持ち寄りの山。試食して、忌憚のない意見を言い合える、ほんとうに得難い仲間ですな。
わたくしも、「とことんクミン大研究」の一環として日夜研究に勤しんでいた「クミンおからナムキーン」を初お披露目しました。右手の包帯は、前夜、アフガニーチキンのスパイスを乾煎りしていたときに、疲労でホゲホゲしすぎて超高温のタワ(チャパティ焼き用のフライパン)を素手で掴むという愚行を犯し、親指の付け根にくっきり線が入るような火傷をしちまった次第(気をつけよう)。

最後は、少量だけ試し使いするために、仕入れた大量のスパイスを持ち帰り用にみなで小分けしているところ。うーむ。アヤシイなァ。

そんなわけで、充実の一日が過ぎました。
で、最後に重要告知!
近々、「クミンおからナムキーン」のレシピをこのブログ上で公開します!
「ゆるベジプロフェッショナル」を名乗る以上、将来、講座やレシピ提供をする際にはお代を頂戴することになるのですが、いま現在、いろいろ準備&修行中のわたくしを応援してくださるみなさまに、現時点でできるなにかを提供したいのです! というわけで、近日中に、このブログ上でも何度か登場した、クミンをたっぷり使えるレシピをご紹介したいと思います。
請うご期待〜。ねむい。寝ます。おやすみなさい! ああ、雪が積もっている。東京の脆弱すぎる交通網が心配。電車、動きますように。
(横位置の写真提供:よねやまゆうこさん)
【実録】2012年1月15日(日)ゆるベジカフェ営業
その日は朝から落ち着かなかった。いや、朝に始まったことではない、ジャハイラ・ミキは、前夜からまるで遠足を前にした子供のようにそわそわしていた。
かねてからお惣菜屋のおばちゃんになりたがっていた。「サービス」という目に見えない商品を提供して日々の糧を得ている彼女は、「現物」の取引、そしてその「現物」を自らの手でつくるという、その事実に心ときめいていた。
十条の駅に降り立ち、足早に朝のカフェに向かう。肩越しに、「おはよう!」と声をかけてきたのは、今日を一緒に乗り切る予定の、よねやま姐。
「ドキドキするねえ。お客さん来るのかなあ。関係者だけで、予定食数余っちゃったらどうしよう」
そんなことを話しながらカフェに着く。

* おフランスのオサレなカフェのような「ヴィ街なか」さん。ここで営業できるのも、残すところあと3回。
調理場にはすでに、ゆるベジプロフェッショナルスクールの同期生たちや、カフェの常駐スタッフさん、店長坂田氏が揃っていた。挨拶もそこそこに、ジャハイラ・ミキは、きれいに手を洗い、エプロンと三角巾で身を固め、慣れない調理場で料理を作り始めた。
緊張しすぎて、新大久保で仕入れてきたターメリックの小袋の中身をぶちまけてしまった。ターメリックは染料としても使われるだけあって、一度ついたらなかなか落ちない。クエン酸と重曹の時間差浸け置きできれいに落ちるが、そんなことをしている余裕はない。ちなみにターメリックには殺菌・止血作用があるので、おろし金でついでに指もおろしてしまったときや、紙でスーッと手を切ってしまったときなど、粉末をこすりつけておき、バンドエイドで軽く保護しておくとすぐに治る。そんな豆知識が頭をよぎり、ジャハイラ・ミキは咄嗟に指にターメリック粉末をこすりつけてみたが、そもそも傷はない。いやそんなことはどうでもよい、早く調理しなければ。
広い調理場に、スタッフが数人並んで黙々と調理を進める。カフェ経験の長い、ゆるベジ界のマッドサイエンティスト実験女子ふみふみやSちゃんが事前に調理手順や分担を割り振っておいてくれたおかげで、ぶっつけ本番のわりに大きな混乱はない。いや、想定外の大トラブルがなくはなかったが、怪我の功名で結果よければすべてよし。
「あと1時間半で開店です!」
「あと45分で開店です!」
店長坂田氏の声が響きわたる。ジャハイラ・ミキは自分の新レシピ「クミンのあずきペースト」の調理を終わり、アレンジレシピの「千切りキャベツ生春巻のジュレ仕立て」に使う、生春巻をせっせ、せっせと巻いていた。今回のレシピではキャベツのみが具で芯となるものがないため、きつく美しく巻くのが難しい。しかし、しっかり巻かないと、切り口を見せて立てて盛り付けをする今回のレシピには具合がよくない。10数年も前、大学の学園祭の料理店でくる日もくる日も生春巻を巻いた経験が突然、生きた。生春巻マキマキマシーンと化して、ジャハイラ・ミキはひたすらに生春巻を巻いた。
「ジャハイラちゃん、そろそろ盛りつけ見本をつくって!」
開店5分前、ふみふみの声がかかる。オーダーが入ったら各メニューを迷わず盛り付けられるように、ひと皿、見本をつくるのだ。客席では、よねやま姐がチョークを握り、メニュー看板を描いている。

開店時間きっちりに、お客様第一号、ご入店。と思ったら、プロスク同期のベルちゃんが一家でご来店。見知った顔でなんとなくホッとする、調理場スタッフたち。しかしそれもつかの間、開店と同時に続々とお客様が来店する。
「リセットごはん、3つオーダー入りました!」

ホールスタッフの元気な声が聞こえるたびに、心臓の音がバクバクするジャハイラ・ミキ。世界を股にかけてビンボー旅行したわりに、本当はとっても小心者なのだ。盛りつけは大丈夫か、お味は大丈夫か。まずいって言われたらどうしよう、食べた人は笑顔になってるかな。
オーダーは次々入る。最初こそ緊張したものの、あまりにも立て続けにオーダーが入ったため、当初、盛りつけを担当していたanother〜kitchenのスタッフFさん、プロスク同期モナカちゃん、ジャハイラ・ミキの3人の息もだんだん合ってくる。なんとなく、「むふふふふふふ」と笑いが込み上げてくる。こんなキンチョー感は、嫌いじゃない。
あろうことか、開店1時間半にして、予定していた食数がすべて出てしまった。まだまだランチタイムであった。足りない足りない料理がぜーーんぜん、足りない! さっきあんなに生春巻巻いたのに! と心で叫ぶジャハイラ・ミキ。
店長坂田氏の指示により、新たに追加分の調理を始める。「クミンあずきペースト」もイチからつくる。こんなとき、30分もあればできてしまうレシピは便利である。そしてそんなわさわさした調理場で、合間を縫ってスタッフのまかないまで調理する、さすがの熟練カフェスタッフふみふみ。横目でみながらお腹がグーグー鳴るジャハイラ・ミキであった。合間に食べようと持参したおにぎりを食べる暇すらなかった。

* 量がハンパない、この日のまかない
14時過ぎ。追加食数も出払ってしまう。あとはティータイムのみ。ひとり、追加分の「りんごとさつまいものケーキ」をつくるプロスク同期ゆうこりん。薄くスライスした煮りんごを丁寧に丁寧に型に敷き詰めていく。寒天はきっちりすり切りで計量。そんな繊細さを生まれてこのかた持ち合わせていなかったジャハイラ・ミキはひたすら感銘を受けながらゆうこりんの作業を見守ったのだった。

* うつくしいうえにノンシュガー「りんごとさつまいものケーキ」 by ゆうこりん
関係者しか来店しないのではないかと思っていたのに、蓋を開けてみたら、予想をはるかに上回るご来店数。スタッフみんな、持てる力は出し切った、とジャハイラ・ミキは思った。この手応えはなににも代え難い。今回の「胃腸にやさしいリセットごはん」は、盛りつけも調理も凝っていたため、通常営業向けのカフェランチとしては手間がかかりすぎて現実的には厳しい構成だった。1回限りのメニューだったからこそ、実現できたのだ。これは実際に手がけてみないとわからないことだった。
2月5日(日)、2月19日(日)には次の営業が待ち構えている。次はどんなメニューが生まれるだろうか。お客様にまた、来ていただけるだろうか。期待と不安を胸に、ジャハイラ・ミキはない頭を絞り、来月の構想(妄想ともいう)を練るのであった。
ひとつ、有益な情報を書き留めておく。水場である調理場では長靴着用がたいへん便利である。カフェの常駐スタッフでもあるふみふみは、グリーンのオサレな長靴着用であった。ジャハイラ・ミキはおニューのダンスクの革靴に何かの水を思い切りかけてしまい、その件に関してだけは、かなりヘコタレたことをここに記す。
では諸君、来月、また会おう。
しかしなんだ、この中途半端な物語形式は。誰かジャハイラ・ミキに「簡潔に短く話を終わらせる」方法を伝授してください。
続く(のか?)
【写真提供: 山根康子(ヒロタンとオトタンのお弁当)】
かねてからお惣菜屋のおばちゃんになりたがっていた。「サービス」という目に見えない商品を提供して日々の糧を得ている彼女は、「現物」の取引、そしてその「現物」を自らの手でつくるという、その事実に心ときめいていた。
十条の駅に降り立ち、足早に朝のカフェに向かう。肩越しに、「おはよう!」と声をかけてきたのは、今日を一緒に乗り切る予定の、よねやま姐。
「ドキドキするねえ。お客さん来るのかなあ。関係者だけで、予定食数余っちゃったらどうしよう」
そんなことを話しながらカフェに着く。

* おフランスのオサレなカフェのような「ヴィ街なか」さん。ここで営業できるのも、残すところあと3回。
調理場にはすでに、ゆるベジプロフェッショナルスクールの同期生たちや、カフェの常駐スタッフさん、店長坂田氏が揃っていた。挨拶もそこそこに、ジャハイラ・ミキは、きれいに手を洗い、エプロンと三角巾で身を固め、慣れない調理場で料理を作り始めた。
緊張しすぎて、新大久保で仕入れてきたターメリックの小袋の中身をぶちまけてしまった。ターメリックは染料としても使われるだけあって、一度ついたらなかなか落ちない。クエン酸と重曹の時間差浸け置きできれいに落ちるが、そんなことをしている余裕はない。ちなみにターメリックには殺菌・止血作用があるので、おろし金でついでに指もおろしてしまったときや、紙でスーッと手を切ってしまったときなど、粉末をこすりつけておき、バンドエイドで軽く保護しておくとすぐに治る。そんな豆知識が頭をよぎり、ジャハイラ・ミキは咄嗟に指にターメリック粉末をこすりつけてみたが、そもそも傷はない。いやそんなことはどうでもよい、早く調理しなければ。
広い調理場に、スタッフが数人並んで黙々と調理を進める。カフェ経験の長い、ゆるベジ界のマッドサイエンティスト実験女子ふみふみやSちゃんが事前に調理手順や分担を割り振っておいてくれたおかげで、ぶっつけ本番のわりに大きな混乱はない。いや、想定外の大トラブルがなくはなかったが、怪我の功名で結果よければすべてよし。
「あと1時間半で開店です!」
「あと45分で開店です!」
店長坂田氏の声が響きわたる。ジャハイラ・ミキは自分の新レシピ「クミンのあずきペースト」の調理を終わり、アレンジレシピの「千切りキャベツ生春巻のジュレ仕立て」に使う、生春巻をせっせ、せっせと巻いていた。今回のレシピではキャベツのみが具で芯となるものがないため、きつく美しく巻くのが難しい。しかし、しっかり巻かないと、切り口を見せて立てて盛り付けをする今回のレシピには具合がよくない。10数年も前、大学の学園祭の料理店でくる日もくる日も生春巻を巻いた経験が突然、生きた。生春巻マキマキマシーンと化して、ジャハイラ・ミキはひたすらに生春巻を巻いた。
「ジャハイラちゃん、そろそろ盛りつけ見本をつくって!」
開店5分前、ふみふみの声がかかる。オーダーが入ったら各メニューを迷わず盛り付けられるように、ひと皿、見本をつくるのだ。客席では、よねやま姐がチョークを握り、メニュー看板を描いている。

開店時間きっちりに、お客様第一号、ご入店。と思ったら、プロスク同期のベルちゃんが一家でご来店。見知った顔でなんとなくホッとする、調理場スタッフたち。しかしそれもつかの間、開店と同時に続々とお客様が来店する。
「リセットごはん、3つオーダー入りました!」

ホールスタッフの元気な声が聞こえるたびに、心臓の音がバクバクするジャハイラ・ミキ。世界を股にかけてビンボー旅行したわりに、本当はとっても小心者なのだ。盛りつけは大丈夫か、お味は大丈夫か。まずいって言われたらどうしよう、食べた人は笑顔になってるかな。
オーダーは次々入る。最初こそ緊張したものの、あまりにも立て続けにオーダーが入ったため、当初、盛りつけを担当していたanother〜kitchenのスタッフFさん、プロスク同期モナカちゃん、ジャハイラ・ミキの3人の息もだんだん合ってくる。なんとなく、「むふふふふふふ」と笑いが込み上げてくる。こんなキンチョー感は、嫌いじゃない。
あろうことか、開店1時間半にして、予定していた食数がすべて出てしまった。まだまだランチタイムであった。足りない足りない料理がぜーーんぜん、足りない! さっきあんなに生春巻巻いたのに! と心で叫ぶジャハイラ・ミキ。
店長坂田氏の指示により、新たに追加分の調理を始める。「クミンあずきペースト」もイチからつくる。こんなとき、30分もあればできてしまうレシピは便利である。そしてそんなわさわさした調理場で、合間を縫ってスタッフのまかないまで調理する、さすがの熟練カフェスタッフふみふみ。横目でみながらお腹がグーグー鳴るジャハイラ・ミキであった。合間に食べようと持参したおにぎりを食べる暇すらなかった。

* 量がハンパない、この日のまかない
14時過ぎ。追加食数も出払ってしまう。あとはティータイムのみ。ひとり、追加分の「りんごとさつまいものケーキ」をつくるプロスク同期ゆうこりん。薄くスライスした煮りんごを丁寧に丁寧に型に敷き詰めていく。寒天はきっちりすり切りで計量。そんな繊細さを生まれてこのかた持ち合わせていなかったジャハイラ・ミキはひたすら感銘を受けながらゆうこりんの作業を見守ったのだった。

* うつくしいうえにノンシュガー「りんごとさつまいものケーキ」 by ゆうこりん
関係者しか来店しないのではないかと思っていたのに、蓋を開けてみたら、予想をはるかに上回るご来店数。スタッフみんな、持てる力は出し切った、とジャハイラ・ミキは思った。この手応えはなににも代え難い。今回の「胃腸にやさしいリセットごはん」は、盛りつけも調理も凝っていたため、通常営業向けのカフェランチとしては手間がかかりすぎて現実的には厳しい構成だった。1回限りのメニューだったからこそ、実現できたのだ。これは実際に手がけてみないとわからないことだった。
2月5日(日)、2月19日(日)には次の営業が待ち構えている。次はどんなメニューが生まれるだろうか。お客様にまた、来ていただけるだろうか。期待と不安を胸に、ジャハイラ・ミキはない頭を絞り、来月の構想(妄想ともいう)を練るのであった。
ひとつ、有益な情報を書き留めておく。水場である調理場では長靴着用がたいへん便利である。カフェの常駐スタッフでもあるふみふみは、グリーンのオサレな長靴着用であった。ジャハイラ・ミキはおニューのダンスクの革靴に何かの水を思い切りかけてしまい、その件に関してだけは、かなりヘコタレたことをここに記す。
では諸君、来月、また会おう。
しかしなんだ、この中途半端な物語形式は。誰かジャハイラ・ミキに「簡潔に短く話を終わらせる」方法を伝授してください。
続く(のか?)
【写真提供: 山根康子(ヒロタンとオトタンのお弁当)】
スパイス入手&異文化体験 in 新大久保
さて皆様。怒涛の1月15日ゆるべじcafe営業が終わり、次回の営業は2月5日(日)でございます。
2月はたぶんね、まあアレだな、毎年定番のあのイベントにかこつけて楽しんでしまおうというテーマになりそう。テーマやメニューは決まり次第、こちらでお知らせいたします♪ あ、先日の営業レポートは、いましばらくお待ちくださいね!
さて今日は、インドのちょっと変わったスパイスをご紹介。
先日の「胃腸にやさしいリセットごはん」でも、イラストライターよねやまゆうこさんのアレンジレシピとしてメニューに入っていたインドのふりかけ「ポディ」。ポディはほんとうにいろいろな種類があって、ココナツベースのものや、チリが効いたもの、各家庭のレシピがあるようです。わたしも手元のインドで出版されたレシピ集にも「ポディ」だけの項目があるほどです。
ポディは、野菜にかけたり、ご飯にかけたり、あとは「ミールス」と呼ばれる南インドの定食(おっきなひと皿に、数種類のカレー風味などのおかずやスープが並んでいる)に添えられていたりし、ときどき口直しになめたり、ごはんとおかずの組み合わせに飽きたらちょっと混ぜ込んでみたり、とアクセント的に食します。わたしの新卒社会人時代の元上司で、これをアテにビールを飲む、という方もいます(笑)。
よねやまさんのポディは、わたしもすこしだけ通っていたインド料理教室「キッチンスタジオ・ペイズリー」を主宰しているインド料理研究家・香取薫さんのレシピのアレンジで、「ヒーング」と呼ばれるスパイスがかなり重要な役割を担うものでした。
ヒーング(ヒンディー語名をカタカナ記載)、हींग(ヒンディー語記載、読みは「ヒーング」)、asafoetida(英名)。木の樹液を固めたもの、またはそれを粉砕して少し混ぜものをしたもの。ちょっとググると「鼻が曲がるようなクッサイ代物」とおそらくあちこちに記載があるかと思います。豆や根菜類を食べたときのガスの発生を抑える役目を果たし、かつ、野菜だけの料理に旨味を加えるので、ベジの豆カレーなどによく使われます。
慣れとは恐ろしいもので、誰が嗅いでも「オエー、くっさー」と眉をひそめるこのヒーング、もはやわたしには「いい匂い、食欲をそそる匂い」になっております。そして我が家でも野菜炒めの野菜を炒める前に、油をしいたフライパンにちょこっとふりかけたりしております。
そんなヒーングをはじめとするスパイス類、わたしは自宅から自転車圏内の新大久保のお店にて調達しています。スーパーではまず手に入らないヒーングはもちろん、クミンシードなども小分けにして売られていて、エ〇ビーなどの小瓶よりもはるかにお安いです。
ヒーングの小瓶。100g入りのもの。このパッケージのものはわりと出回ってます。デザインが可愛いい♪ がんばって覚えたヒンディー語の文字を一生懸命読み解くと、ちゃんと「ひーんぐ」って書いてあります。

まあ、裏は英語表記なんですけどね。

で、新大久保でのわたしのスパイス類調達先は、主に4軒あります。
新大久保駅の大久保通り側の改札を出て、目の前の横断歩道を渡り、正面の薬局の左横の道をちょっと行くとですね、まずは左手に、こちら。
Barahi Food & Spice Center

ここはネパールの方がやっているお店で、規模は小さいものの、4軒のなかでは安めの値段設定。マンゴージュースや、インドの甘いお菓子の缶詰、スナック菓子などはここが一番安いかな。上記のヒーングも、50gの小瓶が300円と一番安いです。2階にはネパール料理屋さんがあります。残念ながら入ったことはありません。
韓国料理屋さんを挟んで角には、店先でお肉の塊がグルグル回るケバブ屋を展開する、Green Nasco。

お店の人が、イスラム帽にイスラム服にヒゲもじゃらなので、中東あたりの方のお店かと思っていて、ある日尋ねたら、意外や意外、インド南部ケララ州のイスラム教徒の方のお店でした。インド人口の1割がイスラム教徒と言われていますが、北部に分布している印象があり、またケララはキリスト教徒が多いイメージだったので、ちょっと驚きました。まだまだ知らないことがたくさんあるなあ、インド。ケララ州産や、タミルナードゥ州産のアーユルヴェーダのオイルや薬(?)なども売っています。あと、ほかのお店よりはインドネシア料理の調味料の種類がすこし多め。
イスラム教の作法に従って処理された食べ物のことをHalal Food(ハラル・フード)といい、イスラム教徒の人はこれを食べることが望ましいとされています。肉類はとくに、祈りを捧げながら動物をなるべく苦しめない方法で屠殺したものを食べます。このお店では、そんなハラル・ミートのマトンやチキンの塊が中央のでっかい冷凍庫にごろごろ入っています。最近とんとご無沙汰してますが、マトンやラム、わたしは通販でオーストラリア産のいい肉を買うけれど、カレーや煮込みにするにはここのお店の肉で充分な質かな。なによりキロ単位で売っていて、安いです。
お次は、もう少し道なりに進んで同じく左手。香辛料専門店The Jannat Halal Food。

ここはバングラデシュのオーナーの元に、ネパール人やインド人のスタッフが働いているお店です。大袋で仕入れたスパイスを小さな袋に小分けしたものが充実していて、岩塩やちょっとマニアックなスパイスなども並んでいます。店先のタイの調味料やインスタントラーメン、インドカレーのレトルト製品なども豊富で、入用なひとには魅力的な品揃え。米類や豆類の品揃えもいいです。ほかの店もたいがいそうですが、頼めば大袋を小分けにして売ってくれたります。お店の床に米や豆の大袋を直置きしていて、管理は、ウーム、あまりよくないかな。この店ではベトナム産の高品質のライスペーパー(生春巻の皮)がおすすめ。250g(25枚くらい)で250円と破格です。ちなみにライスペーパーはスーパーなどにおいているのはタイ産のものが多いですが、ベトナム産に比べて分厚く、巻いた仕上がりの透け具合があまり美しくないのと、食感が多少もたつくので、ベトナム産がおすすめです。
最後は、さらに道なりにすすんでこれまた左手、マンションの2階部分にある、一番入りにくいお店。Fuji Store。写真の右側の看板、わかりますでしょうか。向かって左手にある階段を上ります。

これです↓

ビルマ(ミャンマー)のイスラム教徒の方がやっているお店で、入口はとーーーっても入りづらいですが、小分けスパイス類はここが一番安いです。品質のよい黒胡椒やカルダモンの大袋も破格でおいてありました。インド映画のDVDもおいてます(レンタルだったかも)。あと、わたしは買ったことはないのですが、ビルマ文字が書かれた食材などもありますね。赤タマネギを揚げたものがビニールパックで売られていたりして、4軒のなかでは一番、東南アジアを感じるお店です。すんごーく敷居が高そうに見えますが、入ってしまえばお店の人はとってもフレンドリー♪ わたしが学生のころからあるから、4軒のなかでは一番古いお店なんじゃないかしら。
いかがでしょうか、新大久保スパイス&その他もろもろツアー。みなさん眼光するどく一見とっつきにくいですが、お話ししてみると、やさしいですよん。なに、とって食われやしませんから、興味がある人はぜひ行ってみてくださいね。新大久保といえばいまや韓流の街ですが、この通りは聞こえてくる言葉もエキゾチック系で、異国の路上を彷彿とさせて、そんなチャンポンな環境が一番心地よいわたしには、とても癒されるストリートなんです。なんかあの、スパイスの香りがムーっと立ち込めてるの、いいんだよね。
2月はたぶんね、まあアレだな、毎年定番のあのイベントにかこつけて楽しんでしまおうというテーマになりそう。テーマやメニューは決まり次第、こちらでお知らせいたします♪ あ、先日の営業レポートは、いましばらくお待ちくださいね!
さて今日は、インドのちょっと変わったスパイスをご紹介。
先日の「胃腸にやさしいリセットごはん」でも、イラストライターよねやまゆうこさんのアレンジレシピとしてメニューに入っていたインドのふりかけ「ポディ」。ポディはほんとうにいろいろな種類があって、ココナツベースのものや、チリが効いたもの、各家庭のレシピがあるようです。わたしも手元のインドで出版されたレシピ集にも「ポディ」だけの項目があるほどです。
ポディは、野菜にかけたり、ご飯にかけたり、あとは「ミールス」と呼ばれる南インドの定食(おっきなひと皿に、数種類のカレー風味などのおかずやスープが並んでいる)に添えられていたりし、ときどき口直しになめたり、ごはんとおかずの組み合わせに飽きたらちょっと混ぜ込んでみたり、とアクセント的に食します。わたしの新卒社会人時代の元上司で、これをアテにビールを飲む、という方もいます(笑)。
よねやまさんのポディは、わたしもすこしだけ通っていたインド料理教室「キッチンスタジオ・ペイズリー」を主宰しているインド料理研究家・香取薫さんのレシピのアレンジで、「ヒーング」と呼ばれるスパイスがかなり重要な役割を担うものでした。
ヒーング(ヒンディー語名をカタカナ記載)、हींग(ヒンディー語記載、読みは「ヒーング」)、asafoetida(英名)。木の樹液を固めたもの、またはそれを粉砕して少し混ぜものをしたもの。ちょっとググると「鼻が曲がるようなクッサイ代物」とおそらくあちこちに記載があるかと思います。豆や根菜類を食べたときのガスの発生を抑える役目を果たし、かつ、野菜だけの料理に旨味を加えるので、ベジの豆カレーなどによく使われます。
慣れとは恐ろしいもので、誰が嗅いでも「オエー、くっさー」と眉をひそめるこのヒーング、もはやわたしには「いい匂い、食欲をそそる匂い」になっております。そして我が家でも野菜炒めの野菜を炒める前に、油をしいたフライパンにちょこっとふりかけたりしております。
そんなヒーングをはじめとするスパイス類、わたしは自宅から自転車圏内の新大久保のお店にて調達しています。スーパーではまず手に入らないヒーングはもちろん、クミンシードなども小分けにして売られていて、エ〇ビーなどの小瓶よりもはるかにお安いです。
ヒーングの小瓶。100g入りのもの。このパッケージのものはわりと出回ってます。デザインが可愛いい♪ がんばって覚えたヒンディー語の文字を一生懸命読み解くと、ちゃんと「ひーんぐ」って書いてあります。

まあ、裏は英語表記なんですけどね。

で、新大久保でのわたしのスパイス類調達先は、主に4軒あります。
新大久保駅の大久保通り側の改札を出て、目の前の横断歩道を渡り、正面の薬局の左横の道をちょっと行くとですね、まずは左手に、こちら。
Barahi Food & Spice Center

ここはネパールの方がやっているお店で、規模は小さいものの、4軒のなかでは安めの値段設定。マンゴージュースや、インドの甘いお菓子の缶詰、スナック菓子などはここが一番安いかな。上記のヒーングも、50gの小瓶が300円と一番安いです。2階にはネパール料理屋さんがあります。残念ながら入ったことはありません。
韓国料理屋さんを挟んで角には、店先でお肉の塊がグルグル回るケバブ屋を展開する、Green Nasco。

お店の人が、イスラム帽にイスラム服にヒゲもじゃらなので、中東あたりの方のお店かと思っていて、ある日尋ねたら、意外や意外、インド南部ケララ州のイスラム教徒の方のお店でした。インド人口の1割がイスラム教徒と言われていますが、北部に分布している印象があり、またケララはキリスト教徒が多いイメージだったので、ちょっと驚きました。まだまだ知らないことがたくさんあるなあ、インド。ケララ州産や、タミルナードゥ州産のアーユルヴェーダのオイルや薬(?)なども売っています。あと、ほかのお店よりはインドネシア料理の調味料の種類がすこし多め。
イスラム教の作法に従って処理された食べ物のことをHalal Food(ハラル・フード)といい、イスラム教徒の人はこれを食べることが望ましいとされています。肉類はとくに、祈りを捧げながら動物をなるべく苦しめない方法で屠殺したものを食べます。このお店では、そんなハラル・ミートのマトンやチキンの塊が中央のでっかい冷凍庫にごろごろ入っています。最近とんとご無沙汰してますが、マトンやラム、わたしは通販でオーストラリア産のいい肉を買うけれど、カレーや煮込みにするにはここのお店の肉で充分な質かな。なによりキロ単位で売っていて、安いです。
お次は、もう少し道なりに進んで同じく左手。香辛料専門店The Jannat Halal Food。

ここはバングラデシュのオーナーの元に、ネパール人やインド人のスタッフが働いているお店です。大袋で仕入れたスパイスを小さな袋に小分けしたものが充実していて、岩塩やちょっとマニアックなスパイスなども並んでいます。店先のタイの調味料やインスタントラーメン、インドカレーのレトルト製品なども豊富で、入用なひとには魅力的な品揃え。米類や豆類の品揃えもいいです。ほかの店もたいがいそうですが、頼めば大袋を小分けにして売ってくれたります。お店の床に米や豆の大袋を直置きしていて、管理は、ウーム、あまりよくないかな。この店ではベトナム産の高品質のライスペーパー(生春巻の皮)がおすすめ。250g(25枚くらい)で250円と破格です。ちなみにライスペーパーはスーパーなどにおいているのはタイ産のものが多いですが、ベトナム産に比べて分厚く、巻いた仕上がりの透け具合があまり美しくないのと、食感が多少もたつくので、ベトナム産がおすすめです。
最後は、さらに道なりにすすんでこれまた左手、マンションの2階部分にある、一番入りにくいお店。Fuji Store。写真の右側の看板、わかりますでしょうか。向かって左手にある階段を上ります。

これです↓

ビルマ(ミャンマー)のイスラム教徒の方がやっているお店で、入口はとーーーっても入りづらいですが、小分けスパイス類はここが一番安いです。品質のよい黒胡椒やカルダモンの大袋も破格でおいてありました。インド映画のDVDもおいてます(レンタルだったかも)。あと、わたしは買ったことはないのですが、ビルマ文字が書かれた食材などもありますね。赤タマネギを揚げたものがビニールパックで売られていたりして、4軒のなかでは一番、東南アジアを感じるお店です。すんごーく敷居が高そうに見えますが、入ってしまえばお店の人はとってもフレンドリー♪ わたしが学生のころからあるから、4軒のなかでは一番古いお店なんじゃないかしら。
いかがでしょうか、新大久保スパイス&その他もろもろツアー。みなさん眼光するどく一見とっつきにくいですが、お話ししてみると、やさしいですよん。なに、とって食われやしませんから、興味がある人はぜひ行ってみてくださいね。新大久保といえばいまや韓流の街ですが、この通りは聞こえてくる言葉もエキゾチック系で、異国の路上を彷彿とさせて、そんなチャンポンな環境が一番心地よいわたしには、とても癒されるストリートなんです。なんかあの、スパイスの香りがムーっと立ち込めてるの、いいんだよね。
ゆるベジcafeレポート by やまねえ
1月15日当日の様子を、プロスク同期のやまねえがレポートしてくれました。
やまねえ、ありがとう!
レポートはこちら↓
ヒロタンとオトタンのお弁当
やまねえがたくさん写真も撮ってくれたので、後ほどご紹介したいと思います。あ、会社着いちゃう! ではまた!
やまねえ、ありがとう!
レポートはこちら↓
ヒロタンとオトタンのお弁当
やまねえがたくさん写真も撮ってくれたので、後ほどご紹介したいと思います。あ、会社着いちゃう! ではまた!
本日ゆるベジcafe営業日です!
東京・十条にて、ゆるベジcafe、営業しま~す♪
お天気もよさそうです! 皆様のお越しを心よりお待ちしております。
後ほど余裕があれば、本日の「胃腸に優しいリセットごはん」 のワンプレートの写真をTwitter経由で載せます!
15:50追記
本日、満員御礼! ランチ完売につき、ご提供できなかったお客様、大変申し訳ありませんでした。
こんなプレートでした♪ → こちらをクリック!
お天気もよさそうです! 皆様のお越しを心よりお待ちしております。
後ほど余裕があれば、本日の「胃腸に優しいリセットごはん」 のワンプレートの写真をTwitter経由で載せます!
15:50追記
本日、満員御礼! ランチ完売につき、ご提供できなかったお客様、大変申し訳ありませんでした。
こんなプレートでした♪ → こちらをクリック!
ゆるベジcafeうらばなし 〜盛りつけシクハックの巻〜
突然ですが、みなさんが料理を始めたキッカケってなんですか?
彼または彼女に手料理を食べさせたくて? お母さんのお手伝いをするうちに?
わたしが料理をしだしたのは小学校高学年のころです。
なんせ、毎日、朝から晩まで忙しく働く(いまも現役)母が、ほとんど料理をしない人でした。新婚当初に炒め物をつくったらフライパンが泡だらけになったとか(油と洗剤を間違えた)、お肉をパックから出して炒め、フライパンのまま食卓に出してその脇には大根とおろし金と醤油の瓶がドスンとおかれるとか、いろいろと逸話のある人物です。
なんとか美味しいものを食べたいと思ったわたしと幼い弟は、だからこそ自ら包丁を持つに至った次第です。高校時代は毎朝、朝ごはんとお弁当をつくって持参していました。おかげで19歳でひとり暮らしを始めてもまったく困らず、まるきり主婦のように食材を使い回したりしていました。その点、母には感謝しています(いやほんとに)。
しかしながら、繊細なお料理の世界には無縁に育ったため、わたくしには弱点がございます。
うつくしい盛りつけというやつです。
若かった小娘時代は、やさしい男子に高級レストランに連れていってもらったりしました。そういう場ではお料理より重要なポイントがいくつもあるので、残念ながら盛りつけを学ぶには至りませんでした。
ビンボー旅行者時代は、美食より節約です。それでもバックパッカーにしては美食を追求していたほうですが、やはり財布が気になって盛りつけに注意を払うわけにはいきませんでした。
その後、いわゆる「身体にいい食べ物オタク」への道を進み、きらびやかなレストランフードとはまったく違う観点から食というものを考えはじめたため、またまた盛りつけという世界に無縁で過ごします。職場が高級料亭やレストランが乱立する場所にあるため、いまの仕事に就いてから3年ほどは毎日ように有名店や人気店を食べ歩きましたが、そのときですら、「味」や「素材」には注意を払ったものの、「見てくれ」にはさしたる興味を示さなかったのです(もったいないことだ)。
よって、こんにちに至るまで、ついぞわたくしは盛りつけ及び、食べ物とその周辺のスタイリングにあまり頓着しない人生を歩んできたというわけです。
いえす、「盛りつけ」、ザッツmy弱点!!
それを認識したのは、ゆるベジプロフェッショナルスクールの「スタイリング講座」でした。スタイリングの講師の先生に、プレートへのさまざまな盛りつけ方法や小物の使い方などをじっくり習ったのち、その場に用意されたお料理や小物を使って自分でやってみる。
この講義で、わたくし、しみじみ実感しましたね。そりゃー口に入れば一緒かもしれないけど、見た目のウキウキ感て、すっごく大事なんだ、と。「こんもり盛ってネギでも散らしときゃいいや」は毎日の食卓では過不足なくても、それだけでは足りないシチュエーションもあるな、と。
今回のカフェの試作品をあな吉校長先生に味見していただいたとき先生がおっしゃったのは、「カフェらしさがない。ウキウキ感じゃなくて手抜き感が見える」。たとえば姫ドレ(眠れる森のお姫様ドレッシング)にしても、材料も凝っているし素晴らしいレシピなのだけども、それをただ切っただけのスティック野菜に添えたのではお金を頂戴するにはあまりにもお粗末だ、と。
そそそそそーですよね。オジサン食堂(?)の500円定食じゃないですもんね。ワンプレートのランチが1280円って、けっこうなお値段です。素材やお味にいくら自信があっても、プラスαのなにかがなければ!
その日、夫が娘を連れて外出していたのを幸い、家中、台所中、広げっぱなしのやりっぱなしで深夜まで数品の盛りつけ案を考え倒しました。あな吉校長先生の手帳には、雑誌やチラシなどの素敵なお料理写真が山のようにスクラップされていて、ああそうか、こうやって普段からアイデアをストックしておくんだな、と感銘を受けたのですが、わたくしにはそんなものはまだありません! もうカフェは1週間後! 背水の陣! よって記憶と想像力をフル稼働!
では、出血大サービス! 大根と姫ドレの盛りつけを例に、そのシクハックのごく一部をお見せいたしましょう……。
↓ なんですかコレ。門松風? 後ろに洗いカゴ写り込んでるし。

↓ えーと。コンセプト不明。この半端な赤い点々はなにを表現したかったのか?

しっくりくる盛りつけにたどり着くまでに、大根を半分以上使いました(そしてそれをすべて消費したわたしの胃袋ってば……)。
できてしまえばなんのことはない、最初からこれにしておけばよかった、なんでこれが思い浮かばなかったのかしら、とでも言いたくなるような、結論。さて。どのような仕上がりになったでしょうか。
ふふふ。ご来店お待ちしておりますの♪ ホッホーッ!!(←テンション上がってきた)。
彼または彼女に手料理を食べさせたくて? お母さんのお手伝いをするうちに?
わたしが料理をしだしたのは小学校高学年のころです。
なんせ、毎日、朝から晩まで忙しく働く(いまも現役)母が、ほとんど料理をしない人でした。新婚当初に炒め物をつくったらフライパンが泡だらけになったとか(油と洗剤を間違えた)、お肉をパックから出して炒め、フライパンのまま食卓に出してその脇には大根とおろし金と醤油の瓶がドスンとおかれるとか、いろいろと逸話のある人物です。
なんとか美味しいものを食べたいと思ったわたしと幼い弟は、だからこそ自ら包丁を持つに至った次第です。高校時代は毎朝、朝ごはんとお弁当をつくって持参していました。おかげで19歳でひとり暮らしを始めてもまったく困らず、まるきり主婦のように食材を使い回したりしていました。その点、母には感謝しています(いやほんとに)。
しかしながら、繊細なお料理の世界には無縁に育ったため、わたくしには弱点がございます。
うつくしい盛りつけというやつです。
若かった小娘時代は、やさしい男子に高級レストランに連れていってもらったりしました。そういう場ではお料理より重要なポイントがいくつもあるので、残念ながら盛りつけを学ぶには至りませんでした。
ビンボー旅行者時代は、美食より節約です。それでもバックパッカーにしては美食を追求していたほうですが、やはり財布が気になって盛りつけに注意を払うわけにはいきませんでした。
その後、いわゆる「身体にいい食べ物オタク」への道を進み、きらびやかなレストランフードとはまったく違う観点から食というものを考えはじめたため、またまた盛りつけという世界に無縁で過ごします。職場が高級料亭やレストランが乱立する場所にあるため、いまの仕事に就いてから3年ほどは毎日ように有名店や人気店を食べ歩きましたが、そのときですら、「味」や「素材」には注意を払ったものの、「見てくれ」にはさしたる興味を示さなかったのです(もったいないことだ)。
よって、こんにちに至るまで、ついぞわたくしは盛りつけ及び、食べ物とその周辺のスタイリングにあまり頓着しない人生を歩んできたというわけです。
いえす、「盛りつけ」、ザッツmy弱点!!
それを認識したのは、ゆるベジプロフェッショナルスクールの「スタイリング講座」でした。スタイリングの講師の先生に、プレートへのさまざまな盛りつけ方法や小物の使い方などをじっくり習ったのち、その場に用意されたお料理や小物を使って自分でやってみる。
この講義で、わたくし、しみじみ実感しましたね。そりゃー口に入れば一緒かもしれないけど、見た目のウキウキ感て、すっごく大事なんだ、と。「こんもり盛ってネギでも散らしときゃいいや」は毎日の食卓では過不足なくても、それだけでは足りないシチュエーションもあるな、と。
今回のカフェの試作品をあな吉校長先生に味見していただいたとき先生がおっしゃったのは、「カフェらしさがない。ウキウキ感じゃなくて手抜き感が見える」。たとえば姫ドレ(眠れる森のお姫様ドレッシング)にしても、材料も凝っているし素晴らしいレシピなのだけども、それをただ切っただけのスティック野菜に添えたのではお金を頂戴するにはあまりにもお粗末だ、と。
そそそそそーですよね。オジサン食堂(?)の500円定食じゃないですもんね。ワンプレートのランチが1280円って、けっこうなお値段です。素材やお味にいくら自信があっても、プラスαのなにかがなければ!
その日、夫が娘を連れて外出していたのを幸い、家中、台所中、広げっぱなしのやりっぱなしで深夜まで数品の盛りつけ案を考え倒しました。あな吉校長先生の手帳には、雑誌やチラシなどの素敵なお料理写真が山のようにスクラップされていて、ああそうか、こうやって普段からアイデアをストックしておくんだな、と感銘を受けたのですが、わたくしにはそんなものはまだありません! もうカフェは1週間後! 背水の陣! よって記憶と想像力をフル稼働!
では、出血大サービス! 大根と姫ドレの盛りつけを例に、そのシクハックのごく一部をお見せいたしましょう……。
↓ なんですかコレ。門松風? 後ろに洗いカゴ写り込んでるし。

↓ えーと。コンセプト不明。この半端な赤い点々はなにを表現したかったのか?

しっくりくる盛りつけにたどり着くまでに、大根を半分以上使いました(そしてそれをすべて消費したわたしの胃袋ってば……)。
できてしまえばなんのことはない、最初からこれにしておけばよかった、なんでこれが思い浮かばなかったのかしら、とでも言いたくなるような、結論。さて。どのような仕上がりになったでしょうか。
ふふふ。ご来店お待ちしておりますの♪ ホッホーッ!!(←テンション上がってきた)。
1月15日(日)ゆるベジカフェが迫ってきました!
さて瞑想だなんだと脱線しまくりの当ブログですが、いよいよです、行きますよ!!
あな吉先生のブログでも紹介があったとおり、ついに今週末に迫ってまいりました、ゆるベジカフェ営業日!
あな吉校長のブログでも告知されていますが、残念ながら、ゆるベジカフェの営業は今回の1月1回と、2月に2回でおしまいとなってしまいます。いつか行こう! と思っていた方、あと3回しかありませんので、ぜひご来店ください。
さて、1月のテーマ! 「胃腸にやさしいリセットごはん」、堂々のメニュー発表です!
------------------------------------------------------------------------------
★ワンプレート「胃腸にやさしいリセットごはん」 ¥1,280
大根クリームシチュー (イラストライターよねやまゆうこさんの卒業制作)→ ほんわりと胃にしみわたるやさしいやさしいスープです。卒業制作中、試食でも何度も癒されました。
シャキシャキ大根とおからふりかけのマウンテンチャーハン (ふみちゃんの卒業制作)
→ ゆるベジ界が誇る実験女子ふみちゃんによる、大根とおからだけなのになんでこんなにオイシーの? チャーハンです。
酵素たっぷり大根ミルフィーユ&眠れる森のお姫様ドレッシング (Aややの卒業制作)
→ 15歳年下の旦那様との年齢差を縮めるべく、奥様Aややが開発した、ローフードの要素も取り入れたお肌ぴかぴかドレッシングがキメ手のサラダ。
ベジ串カツ(車麩のカツ) (monakaちゃんの卒業制作)
→ スポーツ選手の旦那様も喜ぶベジ食を、とほっこり妻monakaちゃんが開発した、ベジでもまんぞく! 串かつです。
キャベツの生春巻ジュレ仕立て (イクウェさんの卒業制作をジャハイラがアレンジ)
→ 野菜で呑みたい酒呑みのための神レシピ「エリンギのカルパッチョと自家製ポン酢ジュレ」を開発したイクウェさんのポン酢ジュレをジャハイラが昼間仕様(笑)にアレンジしました。
蒸し野菜のクミンあずきペースト&和風ポディー添え (ジャハイラ新作とよねやまさん新作のコラボ)
カブの葉とクミンのカップケーキ (あな吉校長先生の殿堂入りレシピ)
★スイーツプレート
さつまいもとリンゴのケーキ (ゆうこりん卒業制作)→ 食べるだけで女子力アップ?! ほんとうにうつくしい、そしてホッとするケーキ。
きなこのハードクッキー (あな吉校長先生の殿堂入りレシピ)
------------------------------------------------------------------------------
なんとなんと。ゆるベジプロフェッショナルスクール第一期生の卒業制作のなかからピックアップしたレシピと、今回のリーダー・よねやまさんとサブリーダー・ジャハイラの新作レシピが入っています。卒業制作もカフェ風に進化していてオッサレーな仕上がりです♪
和風ポディってなに? → よねやまゆうこさんのブログへ
ゆるベジカフェWebよりメニュー紹介 → こちら
ゆるベジカフェブログ → こちら
さてさて。わたくしの新作レシピは「クミンあずきペースト」です。卒業制作「とうふチャパティ」、「うめチャツネ」に続く、和素材とスパイスのコラボでございます。
もともとは、卒業制作発表会やTwitterで「クミンシードを買ったものの、使い切れないの……」という声におこたえして始めた「とことんクミン大研究」の一環として、クミンをもっと身近に、気軽に使えないものか? と、インドでいうところの味噌汁のようなスープカレー「ダール」を小豆でつくろうと試みたのがキッカケです。
スープ仕様にしてしまうとワンプレートにはそぐわないので、今回はペースト仕上げで蒸し野菜に合わせて食べられるようにしてみました。ジャハイラ家での打ち合わせ時、居合わせたメンバーでたまたま、よねやまさんのポディと合わせてみたら、なんとなんと相性バッチリ。プレートのなかでも、そこはかとなくインドの香りがする一画です(笑)。この一画、最初はペーストだけで食べてもよし、野菜につけてもよし、最後にポディをかけて「全部混ぜ」でいただくのがおすすめです(独断と偏見による♪)
実はこのクミンあずきペースト、正直、「え、これってカレー? インド?」と一瞬思うような、控えめな仕上げです。あんまりスパイススパイスしていません。でも、日本の家庭料理でも、醤油をジャンジャカ使ったりしないのと同じで、インドでも家庭料理だとこのくらいささやかなスパイス感のことが多いのです。
また、今回はカレー粉を使用せず、クミンシードと、その他パウダースパイス4種でつくります。いつか「とことんカレー粉大研究」もこのブログでやっていきたい所存ですが、カレー粉というのは、味のバランスがひじょうによくできていて誰でも簡単に使える反面、味が画一的といいましょうか、なにに使っても結局「この味ね」に落ち着いてしまうデメリットがあります。
カレー粉の缶の裏の原材料をよく見ていただくとわかるかとおもいますが、インド的には見慣れない甘草や陳皮なども配合されていたり、さまざまなスパイスがたくさんミックスされていて、やさしいインドの家庭料理に惚れ込んだわたしからすると「ちょっと多すぎる、複雑すぎるかな」と感じたりします。皆さんにレシピを提供する場合は手軽なカレー粉レシピでいいのですが、今回はカフェ仕様でスパイスを使ってみることにしました。
そんなわけで、クミンあずきペースト「地味は滋味」、そのやさしいスパイス感を味わっていただけると幸いでございまする。
あな吉先生のブログでも紹介があったとおり、ついに今週末に迫ってまいりました、ゆるベジカフェ営業日!
あな吉校長のブログでも告知されていますが、残念ながら、ゆるベジカフェの営業は今回の1月1回と、2月に2回でおしまいとなってしまいます。いつか行こう! と思っていた方、あと3回しかありませんので、ぜひご来店ください。
さて、1月のテーマ! 「胃腸にやさしいリセットごはん」、堂々のメニュー発表です!
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★ワンプレート「胃腸にやさしいリセットごはん」 ¥1,280
大根クリームシチュー (イラストライターよねやまゆうこさんの卒業制作)→ ほんわりと胃にしみわたるやさしいやさしいスープです。卒業制作中、試食でも何度も癒されました。
シャキシャキ大根とおからふりかけのマウンテンチャーハン (ふみちゃんの卒業制作)
→ ゆるベジ界が誇る実験女子ふみちゃんによる、大根とおからだけなのになんでこんなにオイシーの? チャーハンです。
酵素たっぷり大根ミルフィーユ&眠れる森のお姫様ドレッシング (Aややの卒業制作)
→ 15歳年下の旦那様との年齢差を縮めるべく、奥様Aややが開発した、ローフードの要素も取り入れたお肌ぴかぴかドレッシングがキメ手のサラダ。
ベジ串カツ(車麩のカツ) (monakaちゃんの卒業制作)
→ スポーツ選手の旦那様も喜ぶベジ食を、とほっこり妻monakaちゃんが開発した、ベジでもまんぞく! 串かつです。
キャベツの生春巻ジュレ仕立て (イクウェさんの卒業制作をジャハイラがアレンジ)
→ 野菜で呑みたい酒呑みのための神レシピ「エリンギのカルパッチョと自家製ポン酢ジュレ」を開発したイクウェさんのポン酢ジュレをジャハイラが昼間仕様(笑)にアレンジしました。
蒸し野菜のクミンあずきペースト&和風ポディー添え (ジャハイラ新作とよねやまさん新作のコラボ)
カブの葉とクミンのカップケーキ (あな吉校長先生の殿堂入りレシピ)
★スイーツプレート
さつまいもとリンゴのケーキ (ゆうこりん卒業制作)→ 食べるだけで女子力アップ?! ほんとうにうつくしい、そしてホッとするケーキ。
きなこのハードクッキー (あな吉校長先生の殿堂入りレシピ)
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なんとなんと。ゆるベジプロフェッショナルスクール第一期生の卒業制作のなかからピックアップしたレシピと、今回のリーダー・よねやまさんとサブリーダー・ジャハイラの新作レシピが入っています。卒業制作もカフェ風に進化していてオッサレーな仕上がりです♪
和風ポディってなに? → よねやまゆうこさんのブログへ
ゆるベジカフェWebよりメニュー紹介 → こちら
ゆるベジカフェブログ → こちら
さてさて。わたくしの新作レシピは「クミンあずきペースト」です。卒業制作「とうふチャパティ」、「うめチャツネ」に続く、和素材とスパイスのコラボでございます。
もともとは、卒業制作発表会やTwitterで「クミンシードを買ったものの、使い切れないの……」という声におこたえして始めた「とことんクミン大研究」の一環として、クミンをもっと身近に、気軽に使えないものか? と、インドでいうところの味噌汁のようなスープカレー「ダール」を小豆でつくろうと試みたのがキッカケです。
スープ仕様にしてしまうとワンプレートにはそぐわないので、今回はペースト仕上げで蒸し野菜に合わせて食べられるようにしてみました。ジャハイラ家での打ち合わせ時、居合わせたメンバーでたまたま、よねやまさんのポディと合わせてみたら、なんとなんと相性バッチリ。プレートのなかでも、そこはかとなくインドの香りがする一画です(笑)。この一画、最初はペーストだけで食べてもよし、野菜につけてもよし、最後にポディをかけて「全部混ぜ」でいただくのがおすすめです(独断と偏見による♪)
実はこのクミンあずきペースト、正直、「え、これってカレー? インド?」と一瞬思うような、控えめな仕上げです。あんまりスパイススパイスしていません。でも、日本の家庭料理でも、醤油をジャンジャカ使ったりしないのと同じで、インドでも家庭料理だとこのくらいささやかなスパイス感のことが多いのです。
また、今回はカレー粉を使用せず、クミンシードと、その他パウダースパイス4種でつくります。いつか「とことんカレー粉大研究」もこのブログでやっていきたい所存ですが、カレー粉というのは、味のバランスがひじょうによくできていて誰でも簡単に使える反面、味が画一的といいましょうか、なにに使っても結局「この味ね」に落ち着いてしまうデメリットがあります。
カレー粉の缶の裏の原材料をよく見ていただくとわかるかとおもいますが、インド的には見慣れない甘草や陳皮なども配合されていたり、さまざまなスパイスがたくさんミックスされていて、やさしいインドの家庭料理に惚れ込んだわたしからすると「ちょっと多すぎる、複雑すぎるかな」と感じたりします。皆さんにレシピを提供する場合は手軽なカレー粉レシピでいいのですが、今回はカフェ仕様でスパイスを使ってみることにしました。
そんなわけで、クミンあずきペースト「地味は滋味」、そのやさしいスパイス感を味わっていただけると幸いでございまする。
時には瞑想修行もイイネ! 〜逃げたいアナタに〜 (その3)
修行10日目の夜、日が暮れたあとに、裸電球の灯りのなかで「Insight Sharing」という会が執り行われました。修業中に感じたこと、得たことを、壇上に立つ人だけは口を開いて話してよい、というものでした。欧米人がほとんどなので、みな積極的に前に出ます。自己紹介から始まって、修行に参加しようと思った理由や、もろもろを、みんな話す話す。そしてみんなわりとヘビーな人生を抱え込んでいる。やっぱりみんなしゃべれない間に、あれやこれや思うところがあったようで、話しながら感極まって泣き出す人まで出る。聴衆は喝采や合いの手は禁止なのだけど、同意する場合は「シャンティ」だけは口にしてよく、薄暗い会場のあちこちから、さざ波のような「シャンティ」が聞こえてくる。時々ゲッコー(トカゲみたいなヤモリみたいなやつ)がゲッコーゲッコー鳴いて、いい風が吹き抜けて、なんとピースフルな夜だったことでしょう。
翌日、修行開始から11日目の朝。リーダーの「これでこのretreatは終わりです」という言葉とともに、挙がる歓声! あっちでキャーキャーこっちでオウオウ。修業中に何度も微笑み合った人たちと、わたしも抱き合って「わっつ ゆあ ねーむ?」なんて聞き合ったり。あ、「なんだ日本人だったの。タイ人だと思ってたわー」という声も(笑)。一緒に修行を乗り切った達成感からか、それまで一切の会話がなかったのに、すでに旧知の仲のよう。日本的な「言わなくても分かり合える」文化が(たぶん)なく、「発言しないことは存在しないこと」という標準を持つ欧米的価値観を鑑みると、「発言しなかったのにお互い確かに存在していた」というのはすごいことだった。この数か月後にベンとインドネシアでガムラン奏者の家に2か月間、居候するのですが、そのとき「そのくらい分かってよ!」、「そんなの言われなきゃわからないよ」という喧嘩を何度したことか(日本でも、男女間ではよくある会話かも?)。
参加者は三々五々、解散していきます。抱き合った面々、顔を見合わせて「みんなこのあとどうするの?」なんて話す。その場の勢いで「じゃあこのまま徒党を組んで島に行こうぜ」となり、男女も国籍もバラバラの7、8人で、スラーターニーからフェリーに乗り、ダイビングで有名なパンガン島に向かいました。なにせそれまで煙草は吸えない酒は飲めない、そしてしゃべれない、という禁欲の10日間を過ごしたあとですよ。そりゃもう子どもの遠足みたいな大騒ぎですわ。道中、何度もプシュップシュッといい音が響く(わたしは下戸ゆえコーラにて)。禁欲のあとの堕落、ああ、サイコーッ!!
当時まだ手つかずの自然がたくさん残っていたパンガン島では、島の一番辺鄙な場所にあるビーチ近くに宿をとりました。それは崖の上にひとりからふたり用のバンガローが張り付くように点在する宿で、まあバンガローといえば聞こえはいいけれど、要するに掘っ立て小屋ですな。断崖絶壁の脇をエッチラオッチラ登らないと自分のバンガローに辿り着けない代わり、眺めは最高の宿でした。
宿の食堂は崖の下にあり、そこで集まっては昼はグダグダとくだらない話をしたり、夜は夜でロウソクの灯りのもとで、小っ恥ずかしいセイシュンぽい熱い語り合い。理想の伴侶とはとか、将来どんな人間になりたいかとか、あんたら高校生かいな、というような。そうそう、修行開始当初に目を付けていたステキ男子はカノジョがいて、浮気されたのを許せなかったのだけど修行して吹っ切れたからまたヨリを戻すんだ♪ とルンルンしていたので、残念ながら却下(というかフラれたというべきか)。代わりに、まったくもって好みからは外れるけれど(たぶんあちらもね)、ちょっと額の面積が広くなりかかったドイツ男子ローランドと、インドやヨーガの話を日がな一日して過ごす。こいつはすごくいいやつ。でもヘビー過ぎるカルマを背負っていて、かりそめにも手が出せるような相手ではなかった。よって当初のわたしの「パートナーがほしい」という切なる願いはかなわなかったのだけど、なんだかわりとそんなことはどうでもよくなっていたりしました。
まあそうだね。わたしの好みの真面目で思慮深くて優しくて芸術を愛するステキな男子は確かにいたけどね、そんな修行に来るだけあって、人生がヘビーすぎて太刀打ちできないよね。ローランドとはその後もドイツで再会したり、文通したり、フェイスブックでやりとりしたり、10年間付き合いが続いています。彼はもともとヨーガのインストラクターで、夏の間は国で働いて、ほかの季節はインドでヨーガ修行したり、パタゴニアでツアーガイドをしたり、相変わらず旅の途中みたい。
わたしはといえば、東京のど真ん中でインドとも旅ともまったく関係のない会社勤めをし、子どもを育て、気ぜわしく暮らす昨今、そんな世界とはまったく無縁になってしまったかのようです。でも、たとえばマンションのベランダから見上げた空にまんまるお月さまを発見したりとか、雨上がりに土や緑の匂いを感じたりとか、風に季節の変化を感じたりする一瞬に、この修行中に同じような一瞬があったこと、そしてそのときにふと心が安らかになるような気がしたことを、思い出します。そして、そんなちょっとしたきっかけで戻れる心の平安が、いまのわたしにはとても大切なのです。
新年2日に急逝した友人には、そういう瞬間がなかったのかな。いや、絶対にあったはず。彼には何より音楽があったし、インドで同じような光景を見ていたに違いないから。でも、わたしはほんの一時期の、ごく限定された彼のことしか知らないし、友人として特別に親しかったわけではないから、彼の心にどんな思いがあったかなんて、わかるはずがない。ただただ惜しい。「安らかな顔をしていた」と人づてに聞いたことだけが救いです。
もしかしたら行き詰まっているかもしれない誰かへ。長い人生の1年や2年、世間様から雲隠れしたってどうってことないよ。わたしは5年ほどretreatしていたけれど、ちゃんと戻りたくなったし戻ってこれた。そしてちゃっかりほしいものも手に入れたし、これからも手に入れていける自信があります。10年前には思ってもみなかったことです。でもたぶん、雲隠れの途中で心の持ちようが変わったことが、よい流れを呼んできたのだと思います。1年や2年が長すぎるなら、2週間くらいなんとか融通して、瞑想修行でもしておいで。
真面目に修行をしている人には申し訳ないくらい不純でいい加減な修行体験でした。その筋の真面目な方々、ゴメンナサイ。
*Suan Mokkh僧院のリトリートの詳細はこちら(英語)をどうぞ。余裕があれば、近いうちに日本語要約を載せます*
翌日、修行開始から11日目の朝。リーダーの「これでこのretreatは終わりです」という言葉とともに、挙がる歓声! あっちでキャーキャーこっちでオウオウ。修業中に何度も微笑み合った人たちと、わたしも抱き合って「わっつ ゆあ ねーむ?」なんて聞き合ったり。あ、「なんだ日本人だったの。タイ人だと思ってたわー」という声も(笑)。一緒に修行を乗り切った達成感からか、それまで一切の会話がなかったのに、すでに旧知の仲のよう。日本的な「言わなくても分かり合える」文化が(たぶん)なく、「発言しないことは存在しないこと」という標準を持つ欧米的価値観を鑑みると、「発言しなかったのにお互い確かに存在していた」というのはすごいことだった。この数か月後にベンとインドネシアでガムラン奏者の家に2か月間、居候するのですが、そのとき「そのくらい分かってよ!」、「そんなの言われなきゃわからないよ」という喧嘩を何度したことか(日本でも、男女間ではよくある会話かも?)。
参加者は三々五々、解散していきます。抱き合った面々、顔を見合わせて「みんなこのあとどうするの?」なんて話す。その場の勢いで「じゃあこのまま徒党を組んで島に行こうぜ」となり、男女も国籍もバラバラの7、8人で、スラーターニーからフェリーに乗り、ダイビングで有名なパンガン島に向かいました。なにせそれまで煙草は吸えない酒は飲めない、そしてしゃべれない、という禁欲の10日間を過ごしたあとですよ。そりゃもう子どもの遠足みたいな大騒ぎですわ。道中、何度もプシュップシュッといい音が響く(わたしは下戸ゆえコーラにて)。禁欲のあとの堕落、ああ、サイコーッ!!
当時まだ手つかずの自然がたくさん残っていたパンガン島では、島の一番辺鄙な場所にあるビーチ近くに宿をとりました。それは崖の上にひとりからふたり用のバンガローが張り付くように点在する宿で、まあバンガローといえば聞こえはいいけれど、要するに掘っ立て小屋ですな。断崖絶壁の脇をエッチラオッチラ登らないと自分のバンガローに辿り着けない代わり、眺めは最高の宿でした。
宿の食堂は崖の下にあり、そこで集まっては昼はグダグダとくだらない話をしたり、夜は夜でロウソクの灯りのもとで、小っ恥ずかしいセイシュンぽい熱い語り合い。理想の伴侶とはとか、将来どんな人間になりたいかとか、あんたら高校生かいな、というような。そうそう、修行開始当初に目を付けていたステキ男子はカノジョがいて、浮気されたのを許せなかったのだけど修行して吹っ切れたからまたヨリを戻すんだ♪ とルンルンしていたので、残念ながら却下(というかフラれたというべきか)。代わりに、まったくもって好みからは外れるけれど(たぶんあちらもね)、ちょっと額の面積が広くなりかかったドイツ男子ローランドと、インドやヨーガの話を日がな一日して過ごす。こいつはすごくいいやつ。でもヘビー過ぎるカルマを背負っていて、かりそめにも手が出せるような相手ではなかった。よって当初のわたしの「パートナーがほしい」という切なる願いはかなわなかったのだけど、なんだかわりとそんなことはどうでもよくなっていたりしました。
まあそうだね。わたしの好みの真面目で思慮深くて優しくて芸術を愛するステキな男子は確かにいたけどね、そんな修行に来るだけあって、人生がヘビーすぎて太刀打ちできないよね。ローランドとはその後もドイツで再会したり、文通したり、フェイスブックでやりとりしたり、10年間付き合いが続いています。彼はもともとヨーガのインストラクターで、夏の間は国で働いて、ほかの季節はインドでヨーガ修行したり、パタゴニアでツアーガイドをしたり、相変わらず旅の途中みたい。
わたしはといえば、東京のど真ん中でインドとも旅ともまったく関係のない会社勤めをし、子どもを育て、気ぜわしく暮らす昨今、そんな世界とはまったく無縁になってしまったかのようです。でも、たとえばマンションのベランダから見上げた空にまんまるお月さまを発見したりとか、雨上がりに土や緑の匂いを感じたりとか、風に季節の変化を感じたりする一瞬に、この修行中に同じような一瞬があったこと、そしてそのときにふと心が安らかになるような気がしたことを、思い出します。そして、そんなちょっとしたきっかけで戻れる心の平安が、いまのわたしにはとても大切なのです。
新年2日に急逝した友人には、そういう瞬間がなかったのかな。いや、絶対にあったはず。彼には何より音楽があったし、インドで同じような光景を見ていたに違いないから。でも、わたしはほんの一時期の、ごく限定された彼のことしか知らないし、友人として特別に親しかったわけではないから、彼の心にどんな思いがあったかなんて、わかるはずがない。ただただ惜しい。「安らかな顔をしていた」と人づてに聞いたことだけが救いです。
もしかしたら行き詰まっているかもしれない誰かへ。長い人生の1年や2年、世間様から雲隠れしたってどうってことないよ。わたしは5年ほどretreatしていたけれど、ちゃんと戻りたくなったし戻ってこれた。そしてちゃっかりほしいものも手に入れたし、これからも手に入れていける自信があります。10年前には思ってもみなかったことです。でもたぶん、雲隠れの途中で心の持ちようが変わったことが、よい流れを呼んできたのだと思います。1年や2年が長すぎるなら、2週間くらいなんとか融通して、瞑想修行でもしておいで。
真面目に修行をしている人には申し訳ないくらい不純でいい加減な修行体験でした。その筋の真面目な方々、ゴメンナサイ。
*Suan Mokkh僧院のリトリートの詳細はこちら(英語)をどうぞ。余裕があれば、近いうちに日本語要約を載せます*
時には瞑想修行もイイネ! 〜逃げたいアナタに〜 (その2)
さて、まことにケッコーな環境で男子物色、いや、瞑想修行を行なっていたわたくしですが。鋭意瞑想の結果、わかったことがいくつかあります。
一に、美男子はすぐ飽きるうえにキンチョーして正視できない。
二に、金髪碧眼でも皆がうつくしいわけではない。
三に、そっかーわたしって顔の美醜じゃなくて骨格のうつくしさにこだわりを持っていたんだー。
……なにせ時間はたっぷりあるので、くだらない、いや、崇高な思考が次から次へと浮かんでは消え、浮かんでは消え。坊さんは「瞑想とはなんちゃらかんちゃら」といろいろと言っていましたが、頭は空っぽにはならないし、むしろ邪心、邪念、妄想の温床でござんした。だいたいわたしゃ、説法係のイギリス人の40絡みのストイックな感じの坊さんの頭の形がいいなあ惚れるなあとか、そんなことばかり考えとりまして、へえ。
それでも、説法やら瞑想をする場所は、屋根があるだけの半屋外だったり、よく手入れされた庭だったり、どこもタイとは思えない涼しい風がよく通るところで、ほんとうに、ただ風に吹かれながらあれやこれや楽しく妄想しているだけで一日が過ぎていきました。残念ながら瞑想のなんたるかはさっぱりわからないままだけれども、風や光や空気やふとした匂いや、灯りひとつない真の闇が気持ちいいなあと、そんな感覚は日を追うごとに鋭くなっていきまして。
習得したといえば、三点倒立。早朝ヨーガのオランダ人の先生がとてもステキな女性で、この人の指導のおかげでずいぶんたくさんのアーサナができるようになりました(あくまでも形ができるようになっただけ)。夜明け前のひんやり張り詰めた空気が特別で、お天道様の光が尊くて、風が気持ちよくて。ヘルシーごはんと午後からの絶食で胃腸は快調だし、日々お腹はへっこんでいくし、露天の泥風呂でお肌はぴかぴかだし、しゃべっちゃいけないから煩わしい人付き合いはしなくていいし。はっきりいって、修行、サイコー。
それから修行仲間。毎日数人ずつは離脱していったものの、数十名は朝の起床から就寝前の説法まで共に行動しています。話してはいけないので言葉を交わすことはないのだけど、ふと微笑みあったり、ちょっとした身ぶり手ぶりのやりとりをしたり、言語がなくても人ってずいぶんと意思伝達ができるものなんだなということを知りました。道端で会ってふと微笑みあっていても気色悪いけれど、会話が許されないからこそ、あっちでニコニコ、こっちでニコニコ、実にピースフル。そのうちに、なんとなく気が合いそうな、いつも同じような場所で講義を聞いたり瞑想したりする定番仲間のような顔ぶれもできていきます。まっこと、人間ちゅうのは群れる生き物なんですな。
そんな、外界から一切遮断されたピースフルな雰囲気の中に数日いたら、いくら不純なわたしでも時々は真面目に自分の来し方行く末など思ってみたりもします。折り返し地点の5日目くらいからでしょうか。2、3日ではこういう心の変化にまでは至らない気がするので、10日間という期間には意味があるのでしょう。
うつくしくて空恐ろしい風景をたくさん思い出しました。
この修行の直前、前年末にムンバイからケニアに入りタンザニアに向かい、キリマンジャロに登っていました。初日の出を頂上で拝むように日程を組んだのに、最後の最後、24時にベースキャンプを出発して一気に1000メートルの高度を進む行程の半ばあたり、おそらく5千メートル付近で、高山病で身体が動かず、意識ももうろうとしてしまい。ガイドにペシペシ頬っぺたを叩かれ、「おまえ下山しろ」、「いやだ登る」、「危ないから降りろ」、「いやだったらいやだゼエゼエゼエ」の押し問答。三歩進んで3分休憩という恐ろしいほどの牛歩で、到底日の出には間に合いそうにありません。
そんなとき、視界にふとひと筋の光が見えたのです。その細い光は次第に長くなっていき、ある瞬間、ペカーっと輪になり広がって。日の出でした。
太陽はあっという間に登ります。やけに壮大に、ベートーベンの「ジャジャジャジャーン」が似合う感じで大仰に光が反射すると思ったら、それは雲の絨毯のせい。いつの間にか雲よりも高いところに登っていたのでした(雲の絨毯のことを「雲海」ということをのちに知りました)。
それまで暗闇の中でゼエゼエ言いながら思考停止状態だったのが、太陽の光を浴びたとたん、シャキーンと面白いように脳みそのスイッチが入ります。身体は相変わらず思うように動かないのに、のろのろながらも休むことなく進むことができました。雲海からペカーっと顔を出すお天道様、それを受ける空と雲。うつくしかった。
その1か月前には、インド北部でヒマラヤ山脈の奥へ奥へと進んでいました。途中、タチが悪いことで有名なインド警察の職務質問に遭い、同行者が所持していた、とあるものを薬物だと言いがかりをつけられ、連行されかけました。なんとか解放されて気まずいまま乗り込んだトイ・トレイン。大英帝国植民地時代の遺物のような時代がかった車内で、疲労を滲ませて眠りに落ちる同行者の横顔を照らす西陽。隣のブースは、式を挙げたばかりであろう、ぎこちない感じの新婚のカップル。その奥は幼い子どもらを連れた裕福な家族連れ。ガタンゴトンと超スローに進む列車。セピア色にしたくなるような、甘いような苦いような光景。
その後、山間部の悪路をボロボロのローカルバスでずんずん北上して、その先は雪で道が閉じているという地点まで辿り着いて。暖房のない宿の部屋は凍るような寒さだったけれど、一面ガラスの窓からは、チベットのカイラース山に似ているという、キナール・カイラース山が見えました。万年雪を抱いた山が、朝に夕に色を変えます。一瞬も同じ色がなかった。うつくしかった。
さらにその3か月前には、デリーから友人の車でインド最北端のチベット仏教文化圏であるラダックに向かっていました。「ラダックで売れば数倍の値がつくから」という理由で、いい加減乗り倒した中古のスズキの小型車マルチに乗って。ラダックへ続く道は、西側はパキスタン国境に近く火種の多いカシミール地方への道でもあり、東側は中国との緩衝地帯があるため、国境を守るインド国軍の基地が点在しています。避暑地であるマナーリを過ぎるとどんどん高度があがり、緑が消え、月の砂漠のような山肌が延々と続く殺風景な道になります。5000メートル級の峠も3回ほど越える過酷な道です。周りはランドクルーザーや、軍や物資運搬のごつい大型トラックばかりのなか、エアコンもなくサイドミラーも片側しかなく窓もきちんと閉まらず時々エンストもする、日本でいうなら軽自動車みたいな、馬力のない、ちっこい車で行きました。
案の定、道中何度もトラブルに遭遇しました。高度が上がるにつれエンジンのかかりが悪くなり、おまけに最後のガソリンスタンド地点で給油しようと思っていたら行き止まりの脇道に何キロも入ってしまっていて、あわやガス欠になりそうだったり(通りかかったランドクルーザーにペットボトルにガソリンを分けてもらってしのぎました←ありえないよね……)。
そんななか、悪路が続いて、路面の岩や砂利でどうも車の底のほうをガリガリとやってるな、と車を降りて点検してみたら。どうなっていたと思います?
オイルタンクに大穴が開いていましたわよ。そんでもって当然ながらオイルがジャンジャカ流れ出ていましたよ。わたしは車のことはぜんっぜんわからないけども、これは走れないってことは、なんとなく、わかりましたよ。ええ。周り、色気のない山肌以外になんにもありませんしJAFも来ません。
通りかかる車輌に修理道具を借りられるか尋ねようにも、朝の出発が遅かったせいで、修理道具を積んでいそうなランドクルーザーや軍の車輌はもうほとんど通りません。1時間待っても埒があかない。4800メートル地点、このまま夕暮れを迎えたら凍えてしまう。友人は「ちょっと前に通り過ぎた軍の基地に応援頼んでくるー」とあくまでも悠久のインド的驚異の楽観主義でトコトコ歩いていってしまう。ペットボトル片手に。車で数十分の距離、あーた、歩いたらどんだけかかるの……。
さて。ひとり残されたわたし、車のなかにいても落ち着かないので、外に出て道っぱたに寝っ転がり。空気、薄い。喉、痛い。乾燥しまくっている。見上げれば空、目が痛くなるほど青い。あいつ戻ってくるかな。あと何時間で日が暮れるかな。車が通ったら裏切って乗せてもらおうかな。ああトイレに行きたい。いいや誰もいないしここで(オイ)。子どものころ、学校の帰りの空き地で寝っ転がって空を見てたな。雲がたくさん流れていって飽きなかったな。ここ雲ねえじゃん。青すぎんだよ空オイコラ。
友人の家族へのお土産に下界で買ってきたマンゴーや甘いお菓子を勝手に開けてガンガン食べながら、待つこと数時間。たぶん、4時間くらいだったと思います。その間ずっと、空を見ていました。吸い込まれそうな色、うつくしかった。
ちなみに友人はラダックへ出稼ぎに向かうローカルの人々を載せた車を捕まえて、それに乗って戻ってきました。シャフトと、穴を塞ぐための溶接ができるという工具も一緒に。みなでよってたかって修理したらあっという間で、無事、分けてもらったエンジンオイル(←ペットボトル入り)を補給して出発できました。
……そんな瞑想(のフリ)中、次々とそんな光景やできごとを思い出していたら、時々ふと、「あれ、いまなんだか意識が一段階深かったかも」と奇妙な感覚にとらわれて、それに気づいた瞬間、グワンと元に戻る、という意識の出入りを体験しました。いまに至るまで瞑想のなんたるかなんてわかっちゃいないけれど、あの意識の出入り感はなにか(ちゃんとした)瞑想的なものにつながる感覚だったのかしら。というかわたし、居眠りして夢みてただけ? あるいは生霊になってどこかの誰かを脅してたのかも(笑)
うつくしすぎる光景は、恐ろしいんです。そのまま何もかも忘れてしまってもいいかな、風景の一部になってしまおうかな、なんて気分になって、夢見心地のまま魂があちらへ持っていかれそうで。でもその、持っていかれそうな感じと、そこからグワンッと帰還する感じが、わたしはとてつもなくすきです。そういう瞬間に、生きてるんだなあ、と感じるから。
(その3)へ続く
一に、美男子はすぐ飽きるうえにキンチョーして正視できない。
二に、金髪碧眼でも皆がうつくしいわけではない。
三に、そっかーわたしって顔の美醜じゃなくて骨格のうつくしさにこだわりを持っていたんだー。
……なにせ時間はたっぷりあるので、くだらない、いや、崇高な思考が次から次へと浮かんでは消え、浮かんでは消え。坊さんは「瞑想とはなんちゃらかんちゃら」といろいろと言っていましたが、頭は空っぽにはならないし、むしろ邪心、邪念、妄想の温床でござんした。だいたいわたしゃ、説法係のイギリス人の40絡みのストイックな感じの坊さんの頭の形がいいなあ惚れるなあとか、そんなことばかり考えとりまして、へえ。
それでも、説法やら瞑想をする場所は、屋根があるだけの半屋外だったり、よく手入れされた庭だったり、どこもタイとは思えない涼しい風がよく通るところで、ほんとうに、ただ風に吹かれながらあれやこれや楽しく妄想しているだけで一日が過ぎていきました。残念ながら瞑想のなんたるかはさっぱりわからないままだけれども、風や光や空気やふとした匂いや、灯りひとつない真の闇が気持ちいいなあと、そんな感覚は日を追うごとに鋭くなっていきまして。
習得したといえば、三点倒立。早朝ヨーガのオランダ人の先生がとてもステキな女性で、この人の指導のおかげでずいぶんたくさんのアーサナができるようになりました(あくまでも形ができるようになっただけ)。夜明け前のひんやり張り詰めた空気が特別で、お天道様の光が尊くて、風が気持ちよくて。ヘルシーごはんと午後からの絶食で胃腸は快調だし、日々お腹はへっこんでいくし、露天の泥風呂でお肌はぴかぴかだし、しゃべっちゃいけないから煩わしい人付き合いはしなくていいし。はっきりいって、修行、サイコー。
それから修行仲間。毎日数人ずつは離脱していったものの、数十名は朝の起床から就寝前の説法まで共に行動しています。話してはいけないので言葉を交わすことはないのだけど、ふと微笑みあったり、ちょっとした身ぶり手ぶりのやりとりをしたり、言語がなくても人ってずいぶんと意思伝達ができるものなんだなということを知りました。道端で会ってふと微笑みあっていても気色悪いけれど、会話が許されないからこそ、あっちでニコニコ、こっちでニコニコ、実にピースフル。そのうちに、なんとなく気が合いそうな、いつも同じような場所で講義を聞いたり瞑想したりする定番仲間のような顔ぶれもできていきます。まっこと、人間ちゅうのは群れる生き物なんですな。
そんな、外界から一切遮断されたピースフルな雰囲気の中に数日いたら、いくら不純なわたしでも時々は真面目に自分の来し方行く末など思ってみたりもします。折り返し地点の5日目くらいからでしょうか。2、3日ではこういう心の変化にまでは至らない気がするので、10日間という期間には意味があるのでしょう。
うつくしくて空恐ろしい風景をたくさん思い出しました。
この修行の直前、前年末にムンバイからケニアに入りタンザニアに向かい、キリマンジャロに登っていました。初日の出を頂上で拝むように日程を組んだのに、最後の最後、24時にベースキャンプを出発して一気に1000メートルの高度を進む行程の半ばあたり、おそらく5千メートル付近で、高山病で身体が動かず、意識ももうろうとしてしまい。ガイドにペシペシ頬っぺたを叩かれ、「おまえ下山しろ」、「いやだ登る」、「危ないから降りろ」、「いやだったらいやだゼエゼエゼエ」の押し問答。三歩進んで3分休憩という恐ろしいほどの牛歩で、到底日の出には間に合いそうにありません。
そんなとき、視界にふとひと筋の光が見えたのです。その細い光は次第に長くなっていき、ある瞬間、ペカーっと輪になり広がって。日の出でした。
太陽はあっという間に登ります。やけに壮大に、ベートーベンの「ジャジャジャジャーン」が似合う感じで大仰に光が反射すると思ったら、それは雲の絨毯のせい。いつの間にか雲よりも高いところに登っていたのでした(雲の絨毯のことを「雲海」ということをのちに知りました)。
それまで暗闇の中でゼエゼエ言いながら思考停止状態だったのが、太陽の光を浴びたとたん、シャキーンと面白いように脳みそのスイッチが入ります。身体は相変わらず思うように動かないのに、のろのろながらも休むことなく進むことができました。雲海からペカーっと顔を出すお天道様、それを受ける空と雲。うつくしかった。
その1か月前には、インド北部でヒマラヤ山脈の奥へ奥へと進んでいました。途中、タチが悪いことで有名なインド警察の職務質問に遭い、同行者が所持していた、とあるものを薬物だと言いがかりをつけられ、連行されかけました。なんとか解放されて気まずいまま乗り込んだトイ・トレイン。大英帝国植民地時代の遺物のような時代がかった車内で、疲労を滲ませて眠りに落ちる同行者の横顔を照らす西陽。隣のブースは、式を挙げたばかりであろう、ぎこちない感じの新婚のカップル。その奥は幼い子どもらを連れた裕福な家族連れ。ガタンゴトンと超スローに進む列車。セピア色にしたくなるような、甘いような苦いような光景。
その後、山間部の悪路をボロボロのローカルバスでずんずん北上して、その先は雪で道が閉じているという地点まで辿り着いて。暖房のない宿の部屋は凍るような寒さだったけれど、一面ガラスの窓からは、チベットのカイラース山に似ているという、キナール・カイラース山が見えました。万年雪を抱いた山が、朝に夕に色を変えます。一瞬も同じ色がなかった。うつくしかった。
さらにその3か月前には、デリーから友人の車でインド最北端のチベット仏教文化圏であるラダックに向かっていました。「ラダックで売れば数倍の値がつくから」という理由で、いい加減乗り倒した中古のスズキの小型車マルチに乗って。ラダックへ続く道は、西側はパキスタン国境に近く火種の多いカシミール地方への道でもあり、東側は中国との緩衝地帯があるため、国境を守るインド国軍の基地が点在しています。避暑地であるマナーリを過ぎるとどんどん高度があがり、緑が消え、月の砂漠のような山肌が延々と続く殺風景な道になります。5000メートル級の峠も3回ほど越える過酷な道です。周りはランドクルーザーや、軍や物資運搬のごつい大型トラックばかりのなか、エアコンもなくサイドミラーも片側しかなく窓もきちんと閉まらず時々エンストもする、日本でいうなら軽自動車みたいな、馬力のない、ちっこい車で行きました。
案の定、道中何度もトラブルに遭遇しました。高度が上がるにつれエンジンのかかりが悪くなり、おまけに最後のガソリンスタンド地点で給油しようと思っていたら行き止まりの脇道に何キロも入ってしまっていて、あわやガス欠になりそうだったり(通りかかったランドクルーザーにペットボトルにガソリンを分けてもらってしのぎました←ありえないよね……)。
そんななか、悪路が続いて、路面の岩や砂利でどうも車の底のほうをガリガリとやってるな、と車を降りて点検してみたら。どうなっていたと思います?
オイルタンクに大穴が開いていましたわよ。そんでもって当然ながらオイルがジャンジャカ流れ出ていましたよ。わたしは車のことはぜんっぜんわからないけども、これは走れないってことは、なんとなく、わかりましたよ。ええ。周り、色気のない山肌以外になんにもありませんしJAFも来ません。
通りかかる車輌に修理道具を借りられるか尋ねようにも、朝の出発が遅かったせいで、修理道具を積んでいそうなランドクルーザーや軍の車輌はもうほとんど通りません。1時間待っても埒があかない。4800メートル地点、このまま夕暮れを迎えたら凍えてしまう。友人は「ちょっと前に通り過ぎた軍の基地に応援頼んでくるー」とあくまでも悠久のインド的驚異の楽観主義でトコトコ歩いていってしまう。ペットボトル片手に。車で数十分の距離、あーた、歩いたらどんだけかかるの……。
さて。ひとり残されたわたし、車のなかにいても落ち着かないので、外に出て道っぱたに寝っ転がり。空気、薄い。喉、痛い。乾燥しまくっている。見上げれば空、目が痛くなるほど青い。あいつ戻ってくるかな。あと何時間で日が暮れるかな。車が通ったら裏切って乗せてもらおうかな。ああトイレに行きたい。いいや誰もいないしここで(オイ)。子どものころ、学校の帰りの空き地で寝っ転がって空を見てたな。雲がたくさん流れていって飽きなかったな。ここ雲ねえじゃん。青すぎんだよ空オイコラ。
友人の家族へのお土産に下界で買ってきたマンゴーや甘いお菓子を勝手に開けてガンガン食べながら、待つこと数時間。たぶん、4時間くらいだったと思います。その間ずっと、空を見ていました。吸い込まれそうな色、うつくしかった。
ちなみに友人はラダックへ出稼ぎに向かうローカルの人々を載せた車を捕まえて、それに乗って戻ってきました。シャフトと、穴を塞ぐための溶接ができるという工具も一緒に。みなでよってたかって修理したらあっという間で、無事、分けてもらったエンジンオイル(←ペットボトル入り)を補給して出発できました。
……そんな瞑想(のフリ)中、次々とそんな光景やできごとを思い出していたら、時々ふと、「あれ、いまなんだか意識が一段階深かったかも」と奇妙な感覚にとらわれて、それに気づいた瞬間、グワンと元に戻る、という意識の出入りを体験しました。いまに至るまで瞑想のなんたるかなんてわかっちゃいないけれど、あの意識の出入り感はなにか(ちゃんとした)瞑想的なものにつながる感覚だったのかしら。というかわたし、居眠りして夢みてただけ? あるいは生霊になってどこかの誰かを脅してたのかも(笑)
うつくしすぎる光景は、恐ろしいんです。そのまま何もかも忘れてしまってもいいかな、風景の一部になってしまおうかな、なんて気分になって、夢見心地のまま魂があちらへ持っていかれそうで。でもその、持っていかれそうな感じと、そこからグワンッと帰還する感じが、わたしはとてつもなくすきです。そういう瞬間に、生きてるんだなあ、と感じるから。
(その3)へ続く
時には瞑想修行もイイネ! 〜逃げたいアナタに〜 (その1)
みなさま、新年明けましたね。いかがお過ごしでしょうか。
年明け早々に昔の友人の悲しすぎる訃報がありました。本人の選択だから、わたしは何も言えないし、わたしよりももっとずっと悲しい人がたくさんいるに違いないと思うのですが、明るい世相とは決して言えない昨今、この訃報を受けて、これは書いておかねばならぬと眠い目をこすりつつ書いています。
10年前、ほんとにほんとにきっつい旅をしていた頃。お金も仕事も家も恋人も、ナイナイづくしのフーテン娘でした。仕事はね、たぶんやる気ならばいくらでもあったと思うのですが、真面目に働くのが嫌になっちゃったというか。わはは。とにかくまあ、何を糧にしてどう生きていけばいいのかわからない、寂しく虚しい日々でした。ああヒサン!
そんな頃、ラオスに向かうバスのなかで知り合ったのがきっかけで親しくなり、文通(?)するようになったカナダ人のミュージシャン・ベンがよこした一通のメール。
「ミキ、retreatに行きなよ。静かに瞑想でもすれば道が開けるかもよ」
彼自身もまた、リコンやら何やら複雑な状況で心身ともにしんどい旅の途中で、われわれはそれぞれ旅を続けつつ、お互いの心境や境遇を数日おきにメールで報告し合っては奇妙な連帯感を深めていたのでした。そんな中、しばらく音沙汰がなかったと思ったら、ベンはタイ南部の僧院で10日間の瞑想修行をしていたというのです。
それは「Vipassana(ウィパサナ)」と呼ばれる瞑想の手法を取り入れた修行で、とてもピースフルな環境で素晴らしい体験だった、自分を見つめなおして新たなインスピレーションを得た、というようなことをベンは書いていました。「修行」はわたしの意訳で、こういうのはRetreat(リトリート:退避、退去、軍の撤退という意味)と英語では言うのだそうです。
それならばわたしも自分を見つめ直そうじゃないか! と即座に思ったわけでは全然なく、わたしの心をよぎったのは「そんなところに修行にやって来る人のなかには、真面目で思慮深くて優しくて芸術を愛するステキな男子もいるに違いない」というあくまでもヨコシマな思い(オイ)。
その頃頻繁に訪れていたタイでは、よぼよぼ爺さんの西洋人が金の力で若い貧しい出身の女の子を連れて歩くという、お金で欲を満たしている不健康な関係があまりにもフツーに日常的に目に入り、おまけにわたし自身もビンボー旅行の果てに自分のメンテが少々煩わしくなり「ユーハウマッチ?」などと聞かれてしまう荒んだ風貌になっていたりもしました。心から寂しく、苦楽をともにできるパートナーの出現を待ち望んでいるにも関わらず、鏡に映る自分とその目の前の光景は絶望的という日々を送っていたのです。とにかくだ、誠実な男子というものを切実に望んでいたわけです。
そんなこんなで、ベンの鶴のひと声で藁にもすがる思いで参加を決めた瞑想修行。瞑想のなんたるかなんてぜーんぜん知りません。知っていたのは、その修行が、タイ南部スラーターニー近くのスアン・モーク(Suan Mokkh)僧院というところで毎月1日から10日まで行われており、予約は不要で、開始前日に出向いて受付をすればよい、費用は志の寄付でよい(現在は定額の有料になっている模様)、ということだけ。
バンコクから夜行列車に飛び乗り、着いた駅でピックアップトラックに拾ってもらい、僧院に出向いて言われた通りに受付を済ませ、ほどなく瞑想修行の10日間が始まりました。2002年2月のことです。
それは外国人向けの修行で、欧米人を中心に100人ほどの参加者がいたと思います。朝4時起床、夜明け前にヨーガのクラスがあり、食事は午前と午後の2回の菜食、合間合間に僧侶による説法や瞑想とはなんぞやの講義、各自の瞑想タイム。宿坊は窓のない小さな個室で、エアコンなし、硬いコンクリートのベッドに寝袋で寝て、トイレ・シャワーは共同。21時に消灯で、テレビやラジオの娯楽はない。
そして特筆すべきは、このヴィパサナ修行、しゃべっちゃいけないんです。10日間、ひと言も。用事があるときは全て身ぶり手ぶりまたは筆談で、決して言葉を発してはいけない。参加者同士のおしゃべりはもちろん禁止。
このルールがそうとうキツい参加者が少なからずいて、最終的には30人ほどが途中で離脱していたようです(イタリア人とかね。おしゃべりを禁じられたイタリア人ってなんだか見ていて痛々しかった)。
しかしながら。それまで引きこもりならぬ外こもり的な旅をしていたわたし、数日間、誰ともろくに口をきかないことなどフツーにあったため、まったく違和感がありません。むしろ、いつもはエーゴでまくしたててかしましい欧米人たちが静かにそろそろと蠢いているのを観察するのは大層面白く。そんな状況だから、好みの男子がいないかなどと瞑想してるフリしてつぶさに観察することも可能で(オイってば)。
あくまでも修行なので、邪念がわかないよう、食事の時間にしろ、瞑想の場所にしろ、男女は完全に距離をおいて分かれるのですが、なんのなんの。遠目に眺める金髪碧眼男子たちのなんとうつくしいことよ。説法や講義はエーゴなので、当時のわたしの英語力では到底理解しきれるはずもなく、ますます観察に精が出る(だーかーらー)。
おまけにリトリート会場は大自然に囲まれた広大な敷地にあり、朝に夕に陽光眩しく星空月光うつくしく、女子の入浴に開放された泥温泉などもあり、泥パックし放題。食事は質素な菜食とはいえ、タイ料理をベースに丁寧につくられた穀物と野菜たっぷりのヘルシーごはん。朝は穀物がゆで、昼は野菜料理のビュッフェ。夕方から猛烈にお腹が空くのだけど、その分頭がクリアにもなり、(ヨコシマな)思考ますます冴え渡り。まことにケッコーじゃありませんか。
えーと、話が盛り上がってきたところで、明日も仕事でどうしても眠いので次回に続く。
のちに詳細を書くと思いますが、参考までに、Suan Mokkhのリトリートの詳細は下記をご参照ください。
Meditation Retreat Information -International Dhamma Hermitage-
http://www.suanmokkh-idh.org/
年明け早々に昔の友人の悲しすぎる訃報がありました。本人の選択だから、わたしは何も言えないし、わたしよりももっとずっと悲しい人がたくさんいるに違いないと思うのですが、明るい世相とは決して言えない昨今、この訃報を受けて、これは書いておかねばならぬと眠い目をこすりつつ書いています。
10年前、ほんとにほんとにきっつい旅をしていた頃。お金も仕事も家も恋人も、ナイナイづくしのフーテン娘でした。仕事はね、たぶんやる気ならばいくらでもあったと思うのですが、真面目に働くのが嫌になっちゃったというか。わはは。とにかくまあ、何を糧にしてどう生きていけばいいのかわからない、寂しく虚しい日々でした。ああヒサン!
そんな頃、ラオスに向かうバスのなかで知り合ったのがきっかけで親しくなり、文通(?)するようになったカナダ人のミュージシャン・ベンがよこした一通のメール。
「ミキ、retreatに行きなよ。静かに瞑想でもすれば道が開けるかもよ」
彼自身もまた、リコンやら何やら複雑な状況で心身ともにしんどい旅の途中で、われわれはそれぞれ旅を続けつつ、お互いの心境や境遇を数日おきにメールで報告し合っては奇妙な連帯感を深めていたのでした。そんな中、しばらく音沙汰がなかったと思ったら、ベンはタイ南部の僧院で10日間の瞑想修行をしていたというのです。
それは「Vipassana(ウィパサナ)」と呼ばれる瞑想の手法を取り入れた修行で、とてもピースフルな環境で素晴らしい体験だった、自分を見つめなおして新たなインスピレーションを得た、というようなことをベンは書いていました。「修行」はわたしの意訳で、こういうのはRetreat(リトリート:退避、退去、軍の撤退という意味)と英語では言うのだそうです。
それならばわたしも自分を見つめ直そうじゃないか! と即座に思ったわけでは全然なく、わたしの心をよぎったのは「そんなところに修行にやって来る人のなかには、真面目で思慮深くて優しくて芸術を愛するステキな男子もいるに違いない」というあくまでもヨコシマな思い(オイ)。
その頃頻繁に訪れていたタイでは、よぼよぼ爺さんの西洋人が金の力で若い貧しい出身の女の子を連れて歩くという、お金で欲を満たしている不健康な関係があまりにもフツーに日常的に目に入り、おまけにわたし自身もビンボー旅行の果てに自分のメンテが少々煩わしくなり「ユーハウマッチ?」などと聞かれてしまう荒んだ風貌になっていたりもしました。心から寂しく、苦楽をともにできるパートナーの出現を待ち望んでいるにも関わらず、鏡に映る自分とその目の前の光景は絶望的という日々を送っていたのです。とにかくだ、誠実な男子というものを切実に望んでいたわけです。
そんなこんなで、ベンの鶴のひと声で藁にもすがる思いで参加を決めた瞑想修行。瞑想のなんたるかなんてぜーんぜん知りません。知っていたのは、その修行が、タイ南部スラーターニー近くのスアン・モーク(Suan Mokkh)僧院というところで毎月1日から10日まで行われており、予約は不要で、開始前日に出向いて受付をすればよい、費用は志の寄付でよい(現在は定額の有料になっている模様)、ということだけ。
バンコクから夜行列車に飛び乗り、着いた駅でピックアップトラックに拾ってもらい、僧院に出向いて言われた通りに受付を済ませ、ほどなく瞑想修行の10日間が始まりました。2002年2月のことです。
それは外国人向けの修行で、欧米人を中心に100人ほどの参加者がいたと思います。朝4時起床、夜明け前にヨーガのクラスがあり、食事は午前と午後の2回の菜食、合間合間に僧侶による説法や瞑想とはなんぞやの講義、各自の瞑想タイム。宿坊は窓のない小さな個室で、エアコンなし、硬いコンクリートのベッドに寝袋で寝て、トイレ・シャワーは共同。21時に消灯で、テレビやラジオの娯楽はない。
そして特筆すべきは、このヴィパサナ修行、しゃべっちゃいけないんです。10日間、ひと言も。用事があるときは全て身ぶり手ぶりまたは筆談で、決して言葉を発してはいけない。参加者同士のおしゃべりはもちろん禁止。
このルールがそうとうキツい参加者が少なからずいて、最終的には30人ほどが途中で離脱していたようです(イタリア人とかね。おしゃべりを禁じられたイタリア人ってなんだか見ていて痛々しかった)。
しかしながら。それまで引きこもりならぬ外こもり的な旅をしていたわたし、数日間、誰ともろくに口をきかないことなどフツーにあったため、まったく違和感がありません。むしろ、いつもはエーゴでまくしたててかしましい欧米人たちが静かにそろそろと蠢いているのを観察するのは大層面白く。そんな状況だから、好みの男子がいないかなどと瞑想してるフリしてつぶさに観察することも可能で(オイってば)。
あくまでも修行なので、邪念がわかないよう、食事の時間にしろ、瞑想の場所にしろ、男女は完全に距離をおいて分かれるのですが、なんのなんの。遠目に眺める金髪碧眼男子たちのなんとうつくしいことよ。説法や講義はエーゴなので、当時のわたしの英語力では到底理解しきれるはずもなく、ますます観察に精が出る(だーかーらー)。
おまけにリトリート会場は大自然に囲まれた広大な敷地にあり、朝に夕に陽光眩しく星空月光うつくしく、女子の入浴に開放された泥温泉などもあり、泥パックし放題。食事は質素な菜食とはいえ、タイ料理をベースに丁寧につくられた穀物と野菜たっぷりのヘルシーごはん。朝は穀物がゆで、昼は野菜料理のビュッフェ。夕方から猛烈にお腹が空くのだけど、その分頭がクリアにもなり、(ヨコシマな)思考ますます冴え渡り。まことにケッコーじゃありませんか。
えーと、話が盛り上がってきたところで、明日も仕事でどうしても眠いので次回に続く。
のちに詳細を書くと思いますが、参考までに、Suan Mokkhのリトリートの詳細は下記をご参照ください。
Meditation Retreat Information -International Dhamma Hermitage-
http://www.suanmokkh-idh.org/
昔々の大晦日のはなし
今年中にブログ更新なるかしら? がんばれ自分!
さて、少し早めの年末休みがとれたので、娘と母娘ふたり旅をしました。
伊勢志摩のステキホテルに2泊。海水プールで浮かんだり、おいしいお料理をいただいたり、部屋からの絶景を堪能したり、水族館でキャーキャー騒いだり。伊勢に移住した、あな吉さんつながりの方にも再会できて「ブーゲンビリア」というステキカフェにてベジランチもしたり。
その後、出張から戻ったオットと神戸で待ち合わせて、フェリーに乗って今朝、オットの実家があるうどん国にやってきました。ちなみにわたしは、K県が「うどん県」と名乗る前から「うどん国」と呼んでいましたよ、うん。だってほんとにうどんなんですもの…。
そんな家族と過ごす年末ですが(あ、やっぱり日付越えちゃった、あけましておめでとうございます)、こうやって日本でゆっくりする日がくるとは、なかなか感慨深いのです。学生の頃はだいたい海外旅行に出ていたし、社会人になってからは年末は添乗か自分の旅の途中かで、紅白なんて実に長いこと見ていませんでした。あ、高級ホテルに滞在したときに衛星放送でみたことはあるけれど。
そんな年末年始、わりとトホホな思い出が多いです。
思い出すだにトホホなのは、10年前、南インドを巡るツアーの添乗をしたときのこと。大晦日に、インド最南端から数百キロの道のりをバスで移動しなければならなかったのですが、なんと現地ガイドと些細なことで行き違い…。バーンと行程表を地面に叩きつけられ、「おれはもう帰る!」といわれたことにカチンときたわたくし、「おう、好きにしな!」と、まさに売り言葉に買い言葉。おそらくそこで引き止めるのが筋というもので、今思えばガイドもそれを見越したパフォーマンスを打って出たのだと思うのですが、わたしはワカカッタ…。
残されたのは、わたくし、英語もヒンディー語も通じないバスのドライバーさん、そしてもちろん、ツアーのお客様20名近く…。ドライバーは南インドのタミル人だったのですが、わたしにしても、タミル語は「こんにちは」と「ありがとう」と「ラジニカーント」しか知らない。あ、ラジニカーントは躍るマハラジャの名前か。
もうとにかく、意思の疎通がジェスチャーでしか計れない相手と数百キロを乗り切るしかありません。スピードを出しすぎたり(インドではよくある)、万が一にも居眠りなどしないよう、横に張り付いて通じない言葉であれやこれや話しながら、途中で休憩もとり、6、7時間走り続け。やっとの思いで目的地のホテルに到着したのは23時を回った頃でした。
インドはやたらと祭事が多いうえ、宗教ごとに暦があって新年もバラバラだったりするのですが、それでも西洋の新年のお祝いをするところもあります。特に高級ホテルは西洋客を意識してか西洋ぶりたいからか(?)、ガラディナーと呼ばれる派手な年越しパーティーを開催したりします。
わたしたち一行は、まさにその年越しパーティーの真っさなかに高級ホテルに到着しちまいました。着飾った地元の金持ちのドラ息子ドラ娘がドンチャン騒ぎ、スタッフも会場に出払ってしまっているのか、レセプションに人なんかいません。なんとか人を捕まえて鍵だけは入手、お客様を部屋に送り込んだはいいものの、今度は次々と「バスルームのお湯が出ない」コールがかかってきます。ホテルに文句を言おうにも、レセプションにそもそも人がいないので、ボイラー室まで行き、その場の小僧をひっ捉えてボイラーの電源をいれてもらい、ついでに年越しそば用のど◯兵衛をお客様に振る舞うべくレストランの厨房にずんずん入って行き、そこでも小僧をひっ捉えて(留守番は年端もいかない小僧がしていることが多い)「Hot water!」を要求。
翌日の打ち合わせをすべく、年を越した深夜にわざわざ集まっていただいたお客様に、ど◯兵衛を配り、持ってこさせたhot waterを注いで回るも、いや〜な予感。しまった、わたし、hot water頼んじゃったよ…。そうです、ホットウォーターは、単なる「あったかいお湯」なんです。どん◯衛が食べたければ、very very hot boiling water(アッチッチのグラングランに沸いた水)と命じなければならんのです、インドでは。
気づいても、もうすでに半数以上のお客様には注ぎ終えてしまったし、その「あったかいお湯」を配るしかありませんでした…。南インドのように日本食がほぼない地域をツアーで行くと、みなさん、こうやって時々お配りする日本の食べ物をとっても楽しみにしてくださいます。とくにその会社では年末年始ツアーでは添乗員が年越しそばとお雑煮を振舞うのが恒例になっており、リピーターのお客様がそれを話されたりもしていたので、この日のハードな旅程のあと、深夜のどん◯衛はかなりの期待を背負って迎えられたと言っていいでありましょう…。
翌日の集合時間や予定などを話しながら、生煮えのゴリゴリ固いどん◯衛をすするお客様のお顔が一気に疲労感を増していくのを、わたくし、つぶさに観察させていただきました。ごめんなさい…。
その後、代替のガイドの手配の確認をしたり、日誌を書いたり、ルートの確認や観光名所の予習などをしていたらほとんど眠れないままに朝です。朝は朝で早朝出発のうえにお雑煮というミッションがあります。お餅や顆粒出汁は持参していたのですが、前日のドタバタで入手しそびれ野菜がありません。
厨房にはいると、高級ホテルなので立派な設備が揃ってはいるものの、そこは昨夜のまま雑然と散らかっており、誰もいないし、ざっと見渡した限り、しなびたレタスしか目に入らない。
ええええ、レタスでお雑煮、つくりました。レタスのスープとか、煮浸しとか、美味しいですけどね、なにかが決定的に違いますよね、この場合。ナーンを焼くタンドール釜にまだ炭が残っていたので、またまた小僧をひっ捉えて(ごめんね)火を入れてもらい、お餅はその上に網を乗せて焼きました。先輩添乗員の過去のツアー日誌に餅はタンドール釜で焼くといいと書いてあったのですよ(すごい会社だったナァ)。
カーストやら役割分担がはっきりしているインドでは、普通、高級ホテルのレストランの厨房なんて、外国人の娘っこがそうそう気軽に入れる場所ではありませんで。ガラディナーのドンチャン騒ぎのあとで人が出払っていたあのタイミングだったからこそ、そんなこともできたのかもしれません。本物のタンドール釜を自分で触って餅を焼くなんて貴重な体験ができたのは嬉しかったです。が、レタス雑煮はまずかった(きっぱり)。あのときのお客様みなさま、いろいろ至らなすぎて、すみませんでした(遅)。
さて、光陰矢の如し、いまや2012年、ひと眠りしたら、うどん国のお雑煮です。お餅に餡子が入っているカルチャーショックときたら! 日本も広い。
それではみなさま、おやすみなさい。2011年は、エジプト革命があり、震災と原発事故があり、ゆるベジプロフェッショナルスクールがあり、いろいろな出会いや決意や変化があった年でした。今年も引き続き攻めの年にしたいな。どうぞよろしくお願いいたします♪
さて、少し早めの年末休みがとれたので、娘と母娘ふたり旅をしました。
伊勢志摩のステキホテルに2泊。海水プールで浮かんだり、おいしいお料理をいただいたり、部屋からの絶景を堪能したり、水族館でキャーキャー騒いだり。伊勢に移住した、あな吉さんつながりの方にも再会できて「ブーゲンビリア」というステキカフェにてベジランチもしたり。
その後、出張から戻ったオットと神戸で待ち合わせて、フェリーに乗って今朝、オットの実家があるうどん国にやってきました。ちなみにわたしは、K県が「うどん県」と名乗る前から「うどん国」と呼んでいましたよ、うん。だってほんとにうどんなんですもの…。
そんな家族と過ごす年末ですが(あ、やっぱり日付越えちゃった、あけましておめでとうございます)、こうやって日本でゆっくりする日がくるとは、なかなか感慨深いのです。学生の頃はだいたい海外旅行に出ていたし、社会人になってからは年末は添乗か自分の旅の途中かで、紅白なんて実に長いこと見ていませんでした。あ、高級ホテルに滞在したときに衛星放送でみたことはあるけれど。
そんな年末年始、わりとトホホな思い出が多いです。
思い出すだにトホホなのは、10年前、南インドを巡るツアーの添乗をしたときのこと。大晦日に、インド最南端から数百キロの道のりをバスで移動しなければならなかったのですが、なんと現地ガイドと些細なことで行き違い…。バーンと行程表を地面に叩きつけられ、「おれはもう帰る!」といわれたことにカチンときたわたくし、「おう、好きにしな!」と、まさに売り言葉に買い言葉。おそらくそこで引き止めるのが筋というもので、今思えばガイドもそれを見越したパフォーマンスを打って出たのだと思うのですが、わたしはワカカッタ…。
残されたのは、わたくし、英語もヒンディー語も通じないバスのドライバーさん、そしてもちろん、ツアーのお客様20名近く…。ドライバーは南インドのタミル人だったのですが、わたしにしても、タミル語は「こんにちは」と「ありがとう」と「ラジニカーント」しか知らない。あ、ラジニカーントは躍るマハラジャの名前か。
もうとにかく、意思の疎通がジェスチャーでしか計れない相手と数百キロを乗り切るしかありません。スピードを出しすぎたり(インドではよくある)、万が一にも居眠りなどしないよう、横に張り付いて通じない言葉であれやこれや話しながら、途中で休憩もとり、6、7時間走り続け。やっとの思いで目的地のホテルに到着したのは23時を回った頃でした。
インドはやたらと祭事が多いうえ、宗教ごとに暦があって新年もバラバラだったりするのですが、それでも西洋の新年のお祝いをするところもあります。特に高級ホテルは西洋客を意識してか西洋ぶりたいからか(?)、ガラディナーと呼ばれる派手な年越しパーティーを開催したりします。
わたしたち一行は、まさにその年越しパーティーの真っさなかに高級ホテルに到着しちまいました。着飾った地元の金持ちのドラ息子ドラ娘がドンチャン騒ぎ、スタッフも会場に出払ってしまっているのか、レセプションに人なんかいません。なんとか人を捕まえて鍵だけは入手、お客様を部屋に送り込んだはいいものの、今度は次々と「バスルームのお湯が出ない」コールがかかってきます。ホテルに文句を言おうにも、レセプションにそもそも人がいないので、ボイラー室まで行き、その場の小僧をひっ捉えてボイラーの電源をいれてもらい、ついでに年越しそば用のど◯兵衛をお客様に振る舞うべくレストランの厨房にずんずん入って行き、そこでも小僧をひっ捉えて(留守番は年端もいかない小僧がしていることが多い)「Hot water!」を要求。
翌日の打ち合わせをすべく、年を越した深夜にわざわざ集まっていただいたお客様に、ど◯兵衛を配り、持ってこさせたhot waterを注いで回るも、いや〜な予感。しまった、わたし、hot water頼んじゃったよ…。そうです、ホットウォーターは、単なる「あったかいお湯」なんです。どん◯衛が食べたければ、very very hot boiling water(アッチッチのグラングランに沸いた水)と命じなければならんのです、インドでは。
気づいても、もうすでに半数以上のお客様には注ぎ終えてしまったし、その「あったかいお湯」を配るしかありませんでした…。南インドのように日本食がほぼない地域をツアーで行くと、みなさん、こうやって時々お配りする日本の食べ物をとっても楽しみにしてくださいます。とくにその会社では年末年始ツアーでは添乗員が年越しそばとお雑煮を振舞うのが恒例になっており、リピーターのお客様がそれを話されたりもしていたので、この日のハードな旅程のあと、深夜のどん◯衛はかなりの期待を背負って迎えられたと言っていいでありましょう…。
翌日の集合時間や予定などを話しながら、生煮えのゴリゴリ固いどん◯衛をすするお客様のお顔が一気に疲労感を増していくのを、わたくし、つぶさに観察させていただきました。ごめんなさい…。
その後、代替のガイドの手配の確認をしたり、日誌を書いたり、ルートの確認や観光名所の予習などをしていたらほとんど眠れないままに朝です。朝は朝で早朝出発のうえにお雑煮というミッションがあります。お餅や顆粒出汁は持参していたのですが、前日のドタバタで入手しそびれ野菜がありません。
厨房にはいると、高級ホテルなので立派な設備が揃ってはいるものの、そこは昨夜のまま雑然と散らかっており、誰もいないし、ざっと見渡した限り、しなびたレタスしか目に入らない。
ええええ、レタスでお雑煮、つくりました。レタスのスープとか、煮浸しとか、美味しいですけどね、なにかが決定的に違いますよね、この場合。ナーンを焼くタンドール釜にまだ炭が残っていたので、またまた小僧をひっ捉えて(ごめんね)火を入れてもらい、お餅はその上に網を乗せて焼きました。先輩添乗員の過去のツアー日誌に餅はタンドール釜で焼くといいと書いてあったのですよ(すごい会社だったナァ)。
カーストやら役割分担がはっきりしているインドでは、普通、高級ホテルのレストランの厨房なんて、外国人の娘っこがそうそう気軽に入れる場所ではありませんで。ガラディナーのドンチャン騒ぎのあとで人が出払っていたあのタイミングだったからこそ、そんなこともできたのかもしれません。本物のタンドール釜を自分で触って餅を焼くなんて貴重な体験ができたのは嬉しかったです。が、レタス雑煮はまずかった(きっぱり)。あのときのお客様みなさま、いろいろ至らなすぎて、すみませんでした(遅)。
さて、光陰矢の如し、いまや2012年、ひと眠りしたら、うどん国のお雑煮です。お餅に餡子が入っているカルチャーショックときたら! 日本も広い。
それではみなさま、おやすみなさい。2011年は、エジプト革命があり、震災と原発事故があり、ゆるベジプロフェッショナルスクールがあり、いろいろな出会いや決意や変化があった年でした。今年も引き続き攻めの年にしたいな。どうぞよろしくお願いいたします♪
祈り
みなさまメリークリスマス♪ どんなクリスマスを迎えているでしょうか。
わたくし、来週からの休暇のために連休をものともせず自主的出勤をしたりしております。単に仕事の段取りが悪くて終わらないだけなのですが、娘と蜜月を過ごすためですから、休日返上もしかたありません。1月のカフェのレシピの文字起こしもしなきゃいけないし、カフェの段取りも決めなきゃいけないし、まったくもって休む暇がありません。……いや〜、ありがたいことです!
特にクリスチャンではないわたしですが、クリスマスは好きです。イルミネーションや飾りがきれいだし、やはり、家族や親しい人が集まってわいわいやる、というのがいいですよね。今日は、仕事しなくては! と焦る気持ちを抑え、急きょ、弟夫婦の家にお邪魔して、ジジババとも一緒にゴハンをごちそうになってきました(←いつもお世話になりっぱなしの駄目姉)。母ちゃんのせいで娘にさみしいクリスマスを過ごさせる羽目にならなくて、ほんとうによかった!
インドでも南のほうではキリスト教徒が多い地域があって、クリスマスミサをしたりしています。ロンドンではクリスマス直前の週末に、ものすごい人出の繁華街で押しつぶされそうになっていました。といっても25日本番には、お店は全て締まり、街はシーンと静まり返って、日本の元旦みたいな感じでした。学生のころ、旅行者として訪れたクリスマスの欧州は、みごとにお店が全て閉まっていて悲惨でした。唯一空いていたトルコ人のケバブ屋さんのケバブがありがたかったなァ。
そんな西洋クリスマスの影で、明日はどうやらチベット正月ロサルのようです。大切な友人がいるインド最北部のラダックでもロサルをお祝いします。高地に弱く、いつも息切れしていたにも関わらず、ラダックは世界でもっとも好きな土地のひとつだろうなあ。インドのなかでも、バナーラスとラダックは、いろいろな意味で弱っていたわたしを再生させてくれた、原点みたいな地です。
写真はラダックのStokという街の近郊です。10年前、友人の親戚が何もないだだっ広いところに立派なホテルを建てました。写真をホームページに載せたいから撮ってくれと言われ、一眼レフを持っているというだけの、腕前無視の理由で写真を撮り、そのギャラとしてオープン前のお部屋に何泊かさせてもらいました。本当に何もなかったけれど、空が広くて、青くて、何もなくても一向に困らないところでした。そうそう、このとき使った広角レンズはどこかに置き忘れてなくしたんだった。

こちらは、Tikseyという街にある僧院の灯明。岩山に張り付くように建てられていて、下界から数日かけて陸路でラダック入りすると最初に目に入る、圧倒的存在感の僧院です。小坊主さんたちがたくさん学んでいます。ちょっと違うのだけど、わたしは「天空の城ラピュタ」を見るといつもこの僧院を思い出します。

どんな神様を信じているのでも、みんな仲よく、助け合って、明るい未来を目指したいな。娘が寝ている間に、母ちゃんはもうちょっと仕事をします。みなさまおやすみなさい。
わたくし、来週からの休暇のために連休をものともせず自主的出勤をしたりしております。単に仕事の段取りが悪くて終わらないだけなのですが、娘と蜜月を過ごすためですから、休日返上もしかたありません。1月のカフェのレシピの文字起こしもしなきゃいけないし、カフェの段取りも決めなきゃいけないし、まったくもって休む暇がありません。……いや〜、ありがたいことです!
特にクリスチャンではないわたしですが、クリスマスは好きです。イルミネーションや飾りがきれいだし、やはり、家族や親しい人が集まってわいわいやる、というのがいいですよね。今日は、仕事しなくては! と焦る気持ちを抑え、急きょ、弟夫婦の家にお邪魔して、ジジババとも一緒にゴハンをごちそうになってきました(←いつもお世話になりっぱなしの駄目姉)。母ちゃんのせいで娘にさみしいクリスマスを過ごさせる羽目にならなくて、ほんとうによかった!
インドでも南のほうではキリスト教徒が多い地域があって、クリスマスミサをしたりしています。ロンドンではクリスマス直前の週末に、ものすごい人出の繁華街で押しつぶされそうになっていました。といっても25日本番には、お店は全て締まり、街はシーンと静まり返って、日本の元旦みたいな感じでした。学生のころ、旅行者として訪れたクリスマスの欧州は、みごとにお店が全て閉まっていて悲惨でした。唯一空いていたトルコ人のケバブ屋さんのケバブがありがたかったなァ。
そんな西洋クリスマスの影で、明日はどうやらチベット正月ロサルのようです。大切な友人がいるインド最北部のラダックでもロサルをお祝いします。高地に弱く、いつも息切れしていたにも関わらず、ラダックは世界でもっとも好きな土地のひとつだろうなあ。インドのなかでも、バナーラスとラダックは、いろいろな意味で弱っていたわたしを再生させてくれた、原点みたいな地です。
写真はラダックのStokという街の近郊です。10年前、友人の親戚が何もないだだっ広いところに立派なホテルを建てました。写真をホームページに載せたいから撮ってくれと言われ、一眼レフを持っているというだけの、腕前無視の理由で写真を撮り、そのギャラとしてオープン前のお部屋に何泊かさせてもらいました。本当に何もなかったけれど、空が広くて、青くて、何もなくても一向に困らないところでした。そうそう、このとき使った広角レンズはどこかに置き忘れてなくしたんだった。

こちらは、Tikseyという街にある僧院の灯明。岩山に張り付くように建てられていて、下界から数日かけて陸路でラダック入りすると最初に目に入る、圧倒的存在感の僧院です。小坊主さんたちがたくさん学んでいます。ちょっと違うのだけど、わたしは「天空の城ラピュタ」を見るといつもこの僧院を思い出します。

どんな神様を信じているのでも、みんな仲よく、助け合って、明るい未来を目指したいな。娘が寝ている間に、母ちゃんはもうちょっと仕事をします。みなさまおやすみなさい。
【告知】 ゆるベジcafe 1月15日(日)テーマ決定!
1月15日(日)、ゆるベジcafeのテーマが決まりました!
「胃腸にやさしい、リセットごはん」
時期柄、暴飲暴食のあとでお疲れの胃腸を労わる、やさしいごはんを目指します。リーダーは、イラストライターでプロスク同期のよねやまゆうこさん(「ワタクシ的茶碗三杯」)。在学中も頼れる存在だったよねやまさんにリーダー術を学びつつ、わたくしは、できるのかはなはだ怪しいけれど、サブリーダーを務めさせていただきまする。
そんなわけで、わたくし。ご提供するプレートに入れるひと品に、新たなレシピを入れるべく、鋭意試作中でございます! イェイ!!
でも、く、苦しいです……。何が苦しいかって、目指す味に辿り着くまで分量を変え具材を変え、あれやこれや山のようにできる似たような試作品が消費しきれずに冷蔵庫にたまっていくことが。プロスク在学中も試作が何より苦しかったけれど、実際に人サマのお口に入るかもしれないと思うと、よけいにプレッシャーです……。駄目よジャハイラ、そんな弱気なことじゃ! 立って、立つのよ! がんばるのよ!
わたしの場合、平日は昼間フツーに会社員なので、夜、娘を寝かせてから試作をするのですが。なぜか、いつもアイデアが浮かぶのは、会社で青筋立てて仕事している真っ最中。トイレに駆け込んでメモをとるか、仕事しているふりをして(←オイ)仕事のノートに殴り書きをするか、まーいろいろな方法でそのアイデアを温存します。
そういや「卒業制作発表会でiPadでとうふチャパティの焼き方をプレゼンする」というのを思いついたときは、トイレに駆け込んでその場でanother〜kitchenに電話をして、アシスタントTさんをつかまえ、翌日(祝日でした)の撮影協力を仰いでおりました。いつも唐突でスンマセン。そして感謝。
思い立ったらその場で試作に打ち込めない、深夜にやっと時間がとれても疲労が募っていてとにかく寝たい、あたしゃ眠いんじゃー! とベッドに入り。疲れているのに興奮してなかなか寝つけず、あんなことやこんなことやそ〜んなことまでやってみたいと毎夜、妄想に妄想を重ねて。やっと時間がとれて、ついに念願叶って妄想アイデアを放出できる瞬間ときたら! 気持ちいいっス〜!
* あくまでお料理の話です。
そしてこの気持ちよさのあと、ハンパなお味の試作品を片付けねばならぬというとっても気の重いお仕事が待っているんですよね……。そう、一度手を出したら、責任とらなきゃ、いけないんです……。
* あくまでお料理の話です。
そんなわけで、今日はもう寝ます。おやすみなさい。1月15日(日)、マイスターみんなのアイデアが詰まった、すてきなメニューになりそうですよ。請うご期待!
「胃腸にやさしい、リセットごはん」
時期柄、暴飲暴食のあとでお疲れの胃腸を労わる、やさしいごはんを目指します。リーダーは、イラストライターでプロスク同期のよねやまゆうこさん(「ワタクシ的茶碗三杯」)。在学中も頼れる存在だったよねやまさんにリーダー術を学びつつ、わたくしは、できるのかはなはだ怪しいけれど、サブリーダーを務めさせていただきまする。
そんなわけで、わたくし。ご提供するプレートに入れるひと品に、新たなレシピを入れるべく、鋭意試作中でございます! イェイ!!
でも、く、苦しいです……。何が苦しいかって、目指す味に辿り着くまで分量を変え具材を変え、あれやこれや山のようにできる似たような試作品が消費しきれずに冷蔵庫にたまっていくことが。プロスク在学中も試作が何より苦しかったけれど、実際に人サマのお口に入るかもしれないと思うと、よけいにプレッシャーです……。駄目よジャハイラ、そんな弱気なことじゃ! 立って、立つのよ! がんばるのよ!
わたしの場合、平日は昼間フツーに会社員なので、夜、娘を寝かせてから試作をするのですが。なぜか、いつもアイデアが浮かぶのは、会社で青筋立てて仕事している真っ最中。トイレに駆け込んでメモをとるか、仕事しているふりをして(←オイ)仕事のノートに殴り書きをするか、まーいろいろな方法でそのアイデアを温存します。
そういや「卒業制作発表会でiPadでとうふチャパティの焼き方をプレゼンする」というのを思いついたときは、トイレに駆け込んでその場でanother〜kitchenに電話をして、アシスタントTさんをつかまえ、翌日(祝日でした)の撮影協力を仰いでおりました。いつも唐突でスンマセン。そして感謝。
思い立ったらその場で試作に打ち込めない、深夜にやっと時間がとれても疲労が募っていてとにかく寝たい、あたしゃ眠いんじゃー! とベッドに入り。疲れているのに興奮してなかなか寝つけず、あんなことやこんなことやそ〜んなことまでやってみたいと毎夜、妄想に妄想を重ねて。やっと時間がとれて、ついに念願叶って妄想アイデアを放出できる瞬間ときたら! 気持ちいいっス〜!
* あくまでお料理の話です。
そしてこの気持ちよさのあと、ハンパなお味の試作品を片付けねばならぬというとっても気の重いお仕事が待っているんですよね……。そう、一度手を出したら、責任とらなきゃ、いけないんです……。
* あくまでお料理の話です。
そんなわけで、今日はもう寝ます。おやすみなさい。1月15日(日)、マイスターみんなのアイデアが詰まった、すてきなメニューになりそうですよ。請うご期待!
【告知】 ゆるベジcafeでプロスク第一期生メニュー
みなさま、こんばんは。今晩は冷えますね。なんだか日に日にアクセスが増えていてとっても嬉しいゆるベジスパイス部部長のジャハイラ・ミキです。イェイ。
とっても重要なお知らせです。パンパカパーン♪
これまであな吉校長先生公認のcafeとして月2回営業してきた実績がある東京・十条の「ゆるベジcafe」。なんと来年の1月、2月、3月の営業は、わたしが先日卒業したゆるベジプロフェッショナルスクール第一期卒業生が、好きにやりたいことをやっていいという太っ腹なことに! プロスク第一期卒業生が、メニュー構成からお料理提供まで手がけるのです! いや〜、ドキドキしますねえ。
営業日は下記の通り。月ごとのテーマなどの詳細は決まり次第このブログでも紹介していきますね。参考価格として、おかず8品、ごはん、味噌汁(スープ)のプレートランチが¥1280、スイーツが1品300〜400円の予定です。もちろんすべてベジ。
[2012年営業日]
1月15日(日)
2月5日(日)
2月19日(日)
3月4日(日) 都合により中止
3月18日(日) 都合により中止
わたしは1月15日(日)の営業に、企画・当日とも参加予定です。もしかしてもしかしてもしかすると、ただいま試作中のあのレシピとかがプレートに入っちゃうかも?! すべて出来次第。ガンバりマッス!!
さて、今日はゆるベジプロフェッショナルスクールの、先日卒業した第一期生と、現在試作や課題にウンウン唸っている真っ最中の第二期生の交流会がありました。仕事が終わって、娘&(子守役にわりと遠方から呼びつけた)実母の夕食を用意してから出かけたので、2次会からの参加。
卒業したてなのに、みんなすでに今後のことを話していて、来年はさっそく12月まで日付を決めてしまい、月1回の「マイスター勉強会」をやることに。今後、「ゆるベジマイスタープロダクション」所属のマイスターとしてどのような活動をしていくかなど、白熱のアイデアが飛び交い、とってもとっても刺激的な夜でした。
やっぱり仲間はいいですね。プロスク第一期は、年齢も経歴もほんとうに見事にバラバラだったのに、じつにじつにバランスのとれた、結束の強いチームだったと思います。仕事上知り合ったりすると、どこかに利害関係が発生したりしてしまうので、大人になってからのこういう仲間はありがたいなァ。
写真は「おからナムキーン」試作にあたって作成した(というか走り書きした)マインドマップ。ブザン教授という人が開発した、脳の可能性を開花させるというマインドマップ。ブザン教授の本は分厚すぎてちゃんと読んでいませんが(えーと)、それでもレシピ開発には役立っています。
レシピ開発などのように、試作のパターンが幾通りもあるものや、試作の手法をブレインストームしたいものなどはマインドマップを使う価値は大いにありそう。わたしもまだ始めたばかりなので、精進してどんどんよいアイデアを出していきたいなー。

ランキング、おかげさまで「オーガニックライフ」部門で3位になっています! 嬉しくって飛び上がって試作にも熱が入ろうというものです! 感謝!
とっても重要なお知らせです。パンパカパーン♪
これまであな吉校長先生公認のcafeとして月2回営業してきた実績がある東京・十条の「ゆるベジcafe」。なんと来年の1月、2月、3月の営業は、わたしが先日卒業したゆるベジプロフェッショナルスクール第一期卒業生が、好きにやりたいことをやっていいという太っ腹なことに! プロスク第一期卒業生が、メニュー構成からお料理提供まで手がけるのです! いや〜、ドキドキしますねえ。
営業日は下記の通り。月ごとのテーマなどの詳細は決まり次第このブログでも紹介していきますね。参考価格として、おかず8品、ごはん、味噌汁(スープ)のプレートランチが¥1280、スイーツが1品300〜400円の予定です。もちろんすべてベジ。
[2012年営業日]
1月15日(日)
2月5日(日)
2月19日(日)
わたしは1月15日(日)の営業に、企画・当日とも参加予定です。もしかしてもしかしてもしかすると、ただいま試作中のあのレシピとかがプレートに入っちゃうかも?! すべて出来次第。ガンバりマッス!!
さて、今日はゆるベジプロフェッショナルスクールの、先日卒業した第一期生と、現在試作や課題にウンウン唸っている真っ最中の第二期生の交流会がありました。仕事が終わって、娘&(子守役にわりと遠方から呼びつけた)実母の夕食を用意してから出かけたので、2次会からの参加。
卒業したてなのに、みんなすでに今後のことを話していて、来年はさっそく12月まで日付を決めてしまい、月1回の「マイスター勉強会」をやることに。今後、「ゆるベジマイスタープロダクション」所属のマイスターとしてどのような活動をしていくかなど、白熱のアイデアが飛び交い、とってもとっても刺激的な夜でした。
やっぱり仲間はいいですね。プロスク第一期は、年齢も経歴もほんとうに見事にバラバラだったのに、じつにじつにバランスのとれた、結束の強いチームだったと思います。仕事上知り合ったりすると、どこかに利害関係が発生したりしてしまうので、大人になってからのこういう仲間はありがたいなァ。
写真は「おからナムキーン」試作にあたって作成した(というか走り書きした)マインドマップ。ブザン教授という人が開発した、脳の可能性を開花させるというマインドマップ。ブザン教授の本は分厚すぎてちゃんと読んでいませんが(えーと)、それでもレシピ開発には役立っています。
レシピ開発などのように、試作のパターンが幾通りもあるものや、試作の手法をブレインストームしたいものなどはマインドマップを使う価値は大いにありそう。わたしもまだ始めたばかりなので、精進してどんどんよいアイデアを出していきたいなー。

ランキング、おかげさまで「オーガニックライフ」部門で3位になっています! 嬉しくって飛び上がって試作にも熱が入ろうというものです! 感謝!
とことんクミン大研究! ナムキーンとダールの巻
仕事や生活に支障をきたすので(笑)、試作は週末にしようと思っているのですが、アイデアが浮かび妄想が激しくなってくると止まらず。
クミンをダイレクトに味わうのにどんな使い方がいいだろう? と、クミンのマインドマップまでつくって色々とアイデアを練り、どうやら試作に持ち込んだのが「おからナムキーン」と「あずきダール」の2点。
どやっ!(ちなみにわたしは長いこと「ドヤ顔」というのを、「ドヤ街」にいる暗い顔したオジサンたちの顔のことだと思っていました。ドヤ街なんて若い人は知らないか)。
おからナムキーン

あずきダール

午後のチャーイのお供などにする茶菓子のことを「ナムキーン」といいます。茶菓子といっても、塩のことを「ナマク」というところからも想像できるように、塩味のスナックのようなお菓子の総称でしょうか。ベ〇ースターラーメンのような形状あり、スティック状のものあり、おせんべい状のものあり、要するに、粉と塩と少々のスパイスを練って揚げたものですね。それにナッツや米ポンがミックスされている場合もあります。日本でもエスニック食材屋さんなどで入手できるものとしては、Haldiram社の袋詰めのものがあります。
わたしがしょっちゅう通っていた、ラマグルという渋いオジイサン(たぶんオジサン)がやっているバナーラスのガンジス河沿いの青空チャーイ屋には、無骨なガラス容器がいくつかあって、甘いビスケットやナムキーンが詰まっていたものです。
バナーラスにいる間は、日の出前にそのチャーイ屋に行き、無口なラマグルからチャーイを受け取って、ビスケットかナムキーンをとって、チャーイに浸したりしてぼそぼそ食べながら朝日が登るのを見るのが日課でした。
そんなナムキーンを再現しようとあれこれやってみたものの。チャパティと同じで、粉と水だけの練り物というのは、時間が経つと固くぼそぼそとなってしまうんですよね。インドのチャーイ屋のナムキーンもたいがい湿気ってぼそぼそしていました。
そこで登場、偉大なジャパニ食材「おから」。わたし自身はおからが苦手で、自分から料理に使うことは滅多にないのですが、あな吉校長先生のレシピによく登場するので、試しに混ぜ込んでみました。結果、時間が経っても、揚げたてにはかなわないものの、わりとイケます。うん、これで行こう。
形は、ラダックという、インド最北の地で日本人と同じような顔をし、チベット仏教を信仰する地で、わたしの大切な大切な友人一家が、ロサルというチベット仏教のお正月につくってくれたカプセというお菓子の成形を真似ました。あ、嘘だ、ロサルのときにデリーのチベット村でラダック人と食べたんだっけ。えーと。
食い意地が張っているだけだった当時のわたし、実は、食べたはいいがどうやってつくるのか皆目分からず。「Khapsay」とグーグル先生で検索して出てきた海外のサイトの写真を穴のあくほど見つめに見つめて、どうやらそれらしき成形ができました。わはは。
さてお次はダールです。これはもうインド隅々どこへ行っても食べられる、日本で言うなら味噌汁的な存在の豆のスープです。豆を総じて「ダール」というのですが、その料理のことも「ダール」といいます。もっともポピュラーなのはムングダール(緑豆の皮を除き、挽割りにしたもの)のダールではないかと思います(インドは広いので異論もあるやも知れぬ)。
そのほかにもマスルダール(挽割りレンズ豆)やら、トゥールダール(似たものが思いつかない)やら、ラジュマダール(金時豆のようなレッドキドニービーンズのような)やら、豆の種類は多々あり、調理法も、単品でスープカレーのようにするものから、青菜を混ぜ込んだり、チキンと合わせたり、出汁として使ったり、それはもう多岐に渡ります。
そんな中でもやはり、ムングダールのダールは、サイクルリキシャー(自転車に客席をつけた乗り物)の車夫がゴハンをかき込むような、数ルピー(何十円という額)で定食が食べられる場末(ゴメン)の食堂や、路上生活のボロンボロンの服を着た(ゴメン)一家の食卓から、鉄道旅の車中食から、超高級ホテルのレストランまで、どこに行っても必ずあります。余談ですが、安食堂やビンボー家族ほど、しょっぱいダールが出てきて、ちょっとのダールでなるべくたくさんのチャパティや米をかき込んでました。
そんなダール。インド人の心の味噌汁(なんじゃそりゃ)、ダール。胃が疲れているときなど、ホッとする優しい味わいのダール。だいすきなのに、残念ながら日本では輸入されたダールしか手に入りません(たぶん)。
ゆるベジの基本、そしてわたし自身のスタンスも「地産地消」。なんとかダールを日本の食材でつくれまいか。そーだ、あるじゃん、小豆ちゃん。
というわけで、試作に入った次第です。小豆はムングダールとはかなり風味が異なるので心配したのですが、さすがはインド。クミン、懐深いっス。初回の今回は、オーソドクスにターメリックとカイエンペッパーを加えて煮込み、クミンでテンパリングして仕上げました。寒かったのでニンニクも入れて。それなりにおいしいのだけど、やはり、小豆には小豆の主張があるなあ。お汁粉のできそこないみたいな見た目の色もなんとかならんものか。
行き着きたいイメージは、インド北部の、冬場冷え込む(インドも場所によっては雪が積もったりするんですわ)パンジャーブ州やカシミール州の、こってりなんだけど後味は軽いダール。日本の冬にも合いそうな、身体を温める小豆ダール。まだまだ試作は始まったばかり。
請うご期待!
あ、ブログランキングというのを始めました。右上のバナーをポチッてしてくれると嬉しいな。
クミンをダイレクトに味わうのにどんな使い方がいいだろう? と、クミンのマインドマップまでつくって色々とアイデアを練り、どうやら試作に持ち込んだのが「おからナムキーン」と「あずきダール」の2点。
どやっ!(ちなみにわたしは長いこと「ドヤ顔」というのを、「ドヤ街」にいる暗い顔したオジサンたちの顔のことだと思っていました。ドヤ街なんて若い人は知らないか)。
おからナムキーン

あずきダール

午後のチャーイのお供などにする茶菓子のことを「ナムキーン」といいます。茶菓子といっても、塩のことを「ナマク」というところからも想像できるように、塩味のスナックのようなお菓子の総称でしょうか。ベ〇ースターラーメンのような形状あり、スティック状のものあり、おせんべい状のものあり、要するに、粉と塩と少々のスパイスを練って揚げたものですね。それにナッツや米ポンがミックスされている場合もあります。日本でもエスニック食材屋さんなどで入手できるものとしては、Haldiram社の袋詰めのものがあります。
わたしがしょっちゅう通っていた、ラマグルという渋いオジイサン(たぶんオジサン)がやっているバナーラスのガンジス河沿いの青空チャーイ屋には、無骨なガラス容器がいくつかあって、甘いビスケットやナムキーンが詰まっていたものです。
バナーラスにいる間は、日の出前にそのチャーイ屋に行き、無口なラマグルからチャーイを受け取って、ビスケットかナムキーンをとって、チャーイに浸したりしてぼそぼそ食べながら朝日が登るのを見るのが日課でした。
そんなナムキーンを再現しようとあれこれやってみたものの。チャパティと同じで、粉と水だけの練り物というのは、時間が経つと固くぼそぼそとなってしまうんですよね。インドのチャーイ屋のナムキーンもたいがい湿気ってぼそぼそしていました。
そこで登場、偉大なジャパニ食材「おから」。わたし自身はおからが苦手で、自分から料理に使うことは滅多にないのですが、あな吉校長先生のレシピによく登場するので、試しに混ぜ込んでみました。結果、時間が経っても、揚げたてにはかなわないものの、わりとイケます。うん、これで行こう。
形は、ラダックという、インド最北の地で日本人と同じような顔をし、チベット仏教を信仰する地で、わたしの大切な大切な友人一家が、ロサルというチベット仏教のお正月につくってくれたカプセというお菓子の成形を真似ました。あ、嘘だ、ロサルのときにデリーのチベット村でラダック人と食べたんだっけ。えーと。
食い意地が張っているだけだった当時のわたし、実は、食べたはいいがどうやってつくるのか皆目分からず。「Khapsay」とグーグル先生で検索して出てきた海外のサイトの写真を穴のあくほど見つめに見つめて、どうやらそれらしき成形ができました。わはは。
さてお次はダールです。これはもうインド隅々どこへ行っても食べられる、日本で言うなら味噌汁的な存在の豆のスープです。豆を総じて「ダール」というのですが、その料理のことも「ダール」といいます。もっともポピュラーなのはムングダール(緑豆の皮を除き、挽割りにしたもの)のダールではないかと思います(インドは広いので異論もあるやも知れぬ)。
そのほかにもマスルダール(挽割りレンズ豆)やら、トゥールダール(似たものが思いつかない)やら、ラジュマダール(金時豆のようなレッドキドニービーンズのような)やら、豆の種類は多々あり、調理法も、単品でスープカレーのようにするものから、青菜を混ぜ込んだり、チキンと合わせたり、出汁として使ったり、それはもう多岐に渡ります。
そんな中でもやはり、ムングダールのダールは、サイクルリキシャー(自転車に客席をつけた乗り物)の車夫がゴハンをかき込むような、数ルピー(何十円という額)で定食が食べられる場末(ゴメン)の食堂や、路上生活のボロンボロンの服を着た(ゴメン)一家の食卓から、鉄道旅の車中食から、超高級ホテルのレストランまで、どこに行っても必ずあります。余談ですが、安食堂やビンボー家族ほど、しょっぱいダールが出てきて、ちょっとのダールでなるべくたくさんのチャパティや米をかき込んでました。
そんなダール。インド人の心の味噌汁(なんじゃそりゃ)、ダール。胃が疲れているときなど、ホッとする優しい味わいのダール。だいすきなのに、残念ながら日本では輸入されたダールしか手に入りません(たぶん)。
ゆるベジの基本、そしてわたし自身のスタンスも「地産地消」。なんとかダールを日本の食材でつくれまいか。そーだ、あるじゃん、小豆ちゃん。
というわけで、試作に入った次第です。小豆はムングダールとはかなり風味が異なるので心配したのですが、さすがはインド。クミン、懐深いっス。初回の今回は、オーソドクスにターメリックとカイエンペッパーを加えて煮込み、クミンでテンパリングして仕上げました。寒かったのでニンニクも入れて。それなりにおいしいのだけど、やはり、小豆には小豆の主張があるなあ。お汁粉のできそこないみたいな見た目の色もなんとかならんものか。
行き着きたいイメージは、インド北部の、冬場冷え込む(インドも場所によっては雪が積もったりするんですわ)パンジャーブ州やカシミール州の、こってりなんだけど後味は軽いダール。日本の冬にも合いそうな、身体を温める小豆ダール。まだまだ試作は始まったばかり。
請うご期待!
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ジャハイラ・ミキが目指すもの
長い長い卒業の言葉を読んでくれたみなさま、ありがとうございます。
「ゆるベジプロフェッショナルスクール」を卒業し、2012年1月からは「ゆるベジマイスタープロダクション」に所属し活動していきます。今日は、今後のジャハイラ・ミキが働く母ちゃんをやりながら、しぶとくしつこく目指していくものについて書きます。
1. ゆるベジ惣菜屋
夜遅くまで働く人、とくに女性や母ちゃんが安心して買って帰り、安心して食べられるようなお惣菜を売る人になりたい。わたしはこれまで旅行業界や金融業界など「サービス」を売る仕事を主にしてきたので、現物としての「もの」を売りたいのです。大学1年生のころ、学祭でインドネシア料理店を出店し、料理を売って現金を得て、なおかつ食べたひとに喜んでもらえた、そんなシンプルな喜びのある商売をしたいです。
2. ゆるベジスパイス料理研究家&講師
カレーやインド料理の研究家はすでにたくさんいらっしゃいます。そんななかで「インドをルーツにしてはいるけれども、独自のスパイス使い」ができる料理研究家としてレシピを開発し、それを講座としてお客様に提供していきたい。ゆるベジ界のスパイス女王を目指します(大きく出たなァ)。
3. 英語でレッスンゆるベジ講師
日本語が母語ではない外国人向けに、英語でゆるベジのレッスンができる講師になりたい。カツオだしなどのハードルがあって日本料理に手が出せないベジタリアン向けの講座や、日本の食材でより楽においしく日本でのベジな食生活を続けていけるレシピを提供できる講座をやりたい。
さて、がんばりましょ♪
写真は「とうふチャパティ」のラップサンド。油揚げに塩をふって魚焼きグリルで軽く焼いたものと千切りきゅうりを巻いています。

「ゆるベジプロフェッショナルスクール」を卒業し、2012年1月からは「ゆるベジマイスタープロダクション」に所属し活動していきます。今日は、今後のジャハイラ・ミキが働く母ちゃんをやりながら、しぶとくしつこく目指していくものについて書きます。
1. ゆるベジ惣菜屋
夜遅くまで働く人、とくに女性や母ちゃんが安心して買って帰り、安心して食べられるようなお惣菜を売る人になりたい。わたしはこれまで旅行業界や金融業界など「サービス」を売る仕事を主にしてきたので、現物としての「もの」を売りたいのです。大学1年生のころ、学祭でインドネシア料理店を出店し、料理を売って現金を得て、なおかつ食べたひとに喜んでもらえた、そんなシンプルな喜びのある商売をしたいです。
2. ゆるベジスパイス料理研究家&講師
カレーやインド料理の研究家はすでにたくさんいらっしゃいます。そんななかで「インドをルーツにしてはいるけれども、独自のスパイス使い」ができる料理研究家としてレシピを開発し、それを講座としてお客様に提供していきたい。ゆるベジ界のスパイス女王を目指します(大きく出たなァ)。
3. 英語でレッスンゆるベジ講師
日本語が母語ではない外国人向けに、英語でゆるベジのレッスンができる講師になりたい。カツオだしなどのハードルがあって日本料理に手が出せないベジタリアン向けの講座や、日本の食材でより楽においしく日本でのベジな食生活を続けていけるレシピを提供できる講座をやりたい。
さて、がんばりましょ♪
写真は「とうふチャパティ」のラップサンド。油揚げに塩をふって魚焼きグリルで軽く焼いたものと千切りきゅうりを巻いています。

赤い月の夜に 〜プロスク卒業の言葉に代えて〜
みなが一斉に空を見上げる。そこには地球に隠れるお月さまがいる。お月さまやお天道様の下では、それを見上げる何人も平等である。
富める者にも貧しい者にも、幸せな者にもそうでない者にも、海を越え大陸を越えて、一見、違う空の下に思えても、その空は同じ空である。
週半ばから数年ぶりに大風邪をひき、会社も二日半休んで、今日はそれでも、なんとしてでも行きたかったゆるベジプロフェッショナルスクール最後の日、卒業式でした。久しぶりに処方箋の抗生物質を含む薬をしこたま服用して、頭が朦朧としながらも、なんとか出席できました。この9か月、あっという間だったように見えて、娘は卒乳したし、言葉も増え歌も歌うようになり、夏の暑い日を乗り越え、いつの間にか冷え込む日にもなり、季節は確実に巡ってきました。
そんなわけで今日は、卒業の言葉に代えて、わたしがなぜ「ゆるベジ」という世界に足を踏み入れたのかを書いてみたいと思います。
ひと言でいうと「ゆるベジは世界を救う」という確固たる信念が、わたしにはあるのです(と、キッパリ言い切るとたいへん気持ちがいいですね♪)。
最初に菜食主義というものに触れたのは、ラオスで知り合い、その後、カンボジアやインドネシアで再会し親しくなったカナダ人の良き友人、ベンがきっかけでした。彼と当時のガールフレンドはともにベジタリアンで、彼らが幼い頃にカナダで放送されたという、鶏肉が製品として生産されるまでのドキュメンタリーを見て、以来、肉食はしたくなくなったのだ、と言っていました。
旅行者としてもっとも楽しみなのが、その地のおいしいご飯を食べることなのに、なぜこの人たちはいつもいつも屋台を素通りして、食パンにスキッピーのピーナツバターを塗ってトマトとキュウリに塩振って、みたいな食事ばかりしているんだろう。特にベンは、その後インドネシアで一緒にガムラン奏者の家に居候したりしたので、なんでコイツはいつもみんなが食べる飯を同じように食わないんだ、本当にいい奴で、どうかするとちょっと惚れてたりもした(えへ)のに、ベジタリアンであることだけがいつも気に食わないのでした(でもいまでも仲良しです♪)。
東南アジアでは豊かな食を満喫する一方で、インドに入ると今度は宗教上の理由で、厳格な菜食・非菜食の別がある世界になります。ベジタリアンでなくとも、動物性食品、たとえばお肉や乳製品はとても高価で、日々口にする食品ではなかったりします。ビンボーな人たちは、だいたいダールという豆のスープカレー状のものと、チャパティかご飯といったひじょうにシンプルな食事で日々過ごしていたり。いわゆるハレとケというのがまだ存在していました。
そういう土地に長期滞在をし、ヨーガやアーユルヴェーダに触れていくなかで、一時期かなり厳格な菜食を実行したことがありました。菜食を徹底すると確かに身体は軽いし、何より日本のような加工食品がない土地で素材からつくるシンプルな食事ばかりしていると、だんだんと完璧主義のようになり、少しでも毒になるような食べ物を口にしたくない、というような一種の強迫観念のようなものが生まれていたからです。無性にチキンが食べたい! と思うことが時たまあっても、スーパーなどはなく、鶏屋でキエーキエー鳴く鶏を選んでその場で潰してもらわねばなりません。たいがいは、鶏屋の前まで行ったはいいが結局怖気づいて買えない、といった風でした。
それでも一度、あまりにお肉が食べたくて、友人のアキオくんに頼んで買ってきてもらったことがあります。絞めたての鶏肉はホカホカと温かくて、さっきまで生きていた感が包みの外側からもはっきりと感じられました。アキオくんがネギと塩炒めにしてくれたそのチキンは、本当に涙が出るほどおいしかった! そしてその夜、わたしはなんだか血が沸き立つような妙な興奮状態で眠れなくなってしまい、ああ、これが生き物を殺して食べるということか、そうかこれが肉食するという行為にともなう高揚か、とひとり納得したのでした。
東南アジアでベンがベジタリアンである理由はなんだか気に食わなかったけれど、インドのような土地で、普段は菜食、時々肉食、というスタンスは、そんなわけで、あっさり受け入れることができました。
そして、改めて気づくのです。インドにいると、肉、高いな、と。正確な数字はもはや覚えていないのですが、たとえばトマト2キロが100円だとすると、鶏一羽2キロは600円、その差6倍。日本の鶏肉はどうでしょう。鶏肉、卵、乳製品。野菜と比べてそこまで高いと思ったことはありません。もちろん、鶏一羽で買うわけではないので、その分安くなるという事情はあるにせよ。
あのおいしいホカホカの鶏肉は、高い代金と引き換えにする価値のある鶏肉だったのではないか。だってホカホカだったもの、さっきまで生きていた生き物なんだもの。そして、日本の鶏肉は、なぜ安いのだろう。答えは、そう、大量生産されているから、ですよね。食べるなら、いっそヒヨコから育てて自分で殺して食べたい。それはできなくても、時々、贅沢でありがたいものとして食べるくらいが、いいや。いつの間にか、そんな風に思うようになりました。
だから菜食を実行するにあたって「動物が可哀想だから」という理由は、わたしにはありませんでした。理由を見つけるとすれば、わたしにとって一番説得力があるのは、食肉を育てるのが非常に効率が悪いという理由です。「牛を一頭育てるのに必要な土地を、人間が食べる穀物を育てる土地とした場合、牛一頭で養える何倍もの人口を養うことができる」というものです。
インドは菜食・非菜食が宗教によってもはっきりしているので、たとえば、厳格な菜食のヒンドゥー教徒と、食にあまりタブーがなく肉食も盛んなシーク教徒では、体格からして全然違う印象があります。ビンボーで万年ダールとチャパティだけの食事の人と、裕福でモリモリお肉や乳製品を摂る人の見た目の差も歴然としています。動物性たんぱく質をとるほうが身体が大きくなるんだな、というのは実感としてありますよね。栄養失調は論外として、でも、大きくなればいいというものでもないし、小さくて効率がよくて成人病などの病気がない身体のほうが、わたしはいいと思うのです。
また「普段は菜食、時々肉食」という食習慣を保たないと、インドはあの巨大な人口を支えていくことができないとも思います。そしてそれはインドだけではなく全世界に言えることだと思うのです。「普段は菜食、時々肉食」でどうやら問題ないらしいのはインドを見れば分かるので、毎食毎食、何らかの動物性食品をとらなくてもいいのかな、とわたしは思います。その代わり、キーッとお肉が食べたいときは、丁寧に育てられたお肉を、うんと高いお金を出して買っていただけばいい。わたしは工場製品としての動物性食品は要らないけれど、日本の、まっとうで心ある生産者の畜産や漁業や酪農は応援したいです。
いまは日本で会社員として暮らしているので、外食もしますし、子どもの発達には少々の動物性食品が必要だとも思うので、インドにいた頃のような、完全な「肉抜き」をしているわけではありません。それでも、数か月肉絶ちをしてたまに肉食をするときのあの高揚感は、捨てがたい魅力があるなあ、できればまた体験したいなあ、と思います。なんだかものすごーく自分が原始的な生き物になった気がして、ムラムラメラメラギラギラと生きる力が湧いてくる、とでもいいましょうか。
そんなこんなの経緯があって出会ったのが、あな吉さんの「ゆるベジ」でした。普段はついつい摂りすぎてしまう動物性食品をすっかり抜いた、かつ、おいしいレシピ。生活を大きく変えたり、主義主張を声高に叫ぶのではなく、ゆるーく菜食を実行してみる、という発想。それまでわたしが考え実行してきたことがつまり「ゆるベジ」だったわけなのです。
毎日たくさんの、まだ食べられる食べ物が廃棄されていきます。飽食する一方で、飢える人がいる。空腹が理由で争いがおき、人の心が荒み、無駄に死ななければならない人がいる。目の前の一見、豊かな食卓と、どこかのお腹を空かせた子どもを同時に思うとき、世界のそんなアンバランスさが、わたしはせつないです。子どもがお腹を空かせていることほど我慢がならないことは、ありません。
わたしと同じようにそんなアンバランスさがせつない人を増やし、みなが限られた資源を分け合い、空腹な人をひとりでも減らすこと。それが、わたしがゆるベジを続ける理由です。気の遠くなるような、あるいは大多数の人には一笑にふされてしまうような試みですが、ゆるベジは世界を救うとわたしは本気で思っています。
原発と肉食や遺伝子組み換えの話はなんだか似ています。電気をジャンジャン使ってもっと便利に快適に過ごすためには原発が必要で、お肉をガンガン飽食する人類を支えるためにはより多くの収穫が得られる遺伝子組み換え作物が必要で。わたしはどちらも最小限つましくあればいいです。
インドでは日常的に計画停電が行われていて「電気がない」ことを前提に街がつくられ、人々の生活が確立していました。もちろん、その不便さをインド(や同じような状況の国々)の人にこれからも強要し続けていくことをよしとするわけではありません。日本が、いま犯している過ちをもとに、不便すぎず、でもわたしたちの子孫が暮らす地球環境を少しでもマシに保てるような、そんな舵取りをすべきだと思っています。そのためにわたしにができることは、まったくもって遠回りで徒労に終わってしまうのかもしれないけれど、ゆるベジと、それにまつわる、いわゆる「エコ」を実行し、発信していくことだと信じています。
赤い月を眺めた人々は、みな同じ空の下にいました。そんな無数の人々の、無数の暮らしや人生から、少しでもアンバランスがなくなっていくことを願います。
皆既月食を見上げた、ゆるべじプロフェッショナルスクール卒業の日の夜に
ジャハイラ・ミキ(風邪っぴき)

富める者にも貧しい者にも、幸せな者にもそうでない者にも、海を越え大陸を越えて、一見、違う空の下に思えても、その空は同じ空である。
週半ばから数年ぶりに大風邪をひき、会社も二日半休んで、今日はそれでも、なんとしてでも行きたかったゆるベジプロフェッショナルスクール最後の日、卒業式でした。久しぶりに処方箋の抗生物質を含む薬をしこたま服用して、頭が朦朧としながらも、なんとか出席できました。この9か月、あっという間だったように見えて、娘は卒乳したし、言葉も増え歌も歌うようになり、夏の暑い日を乗り越え、いつの間にか冷え込む日にもなり、季節は確実に巡ってきました。
そんなわけで今日は、卒業の言葉に代えて、わたしがなぜ「ゆるベジ」という世界に足を踏み入れたのかを書いてみたいと思います。
ひと言でいうと「ゆるベジは世界を救う」という確固たる信念が、わたしにはあるのです(と、キッパリ言い切るとたいへん気持ちがいいですね♪)。
最初に菜食主義というものに触れたのは、ラオスで知り合い、その後、カンボジアやインドネシアで再会し親しくなったカナダ人の良き友人、ベンがきっかけでした。彼と当時のガールフレンドはともにベジタリアンで、彼らが幼い頃にカナダで放送されたという、鶏肉が製品として生産されるまでのドキュメンタリーを見て、以来、肉食はしたくなくなったのだ、と言っていました。
旅行者としてもっとも楽しみなのが、その地のおいしいご飯を食べることなのに、なぜこの人たちはいつもいつも屋台を素通りして、食パンにスキッピーのピーナツバターを塗ってトマトとキュウリに塩振って、みたいな食事ばかりしているんだろう。特にベンは、その後インドネシアで一緒にガムラン奏者の家に居候したりしたので、なんでコイツはいつもみんなが食べる飯を同じように食わないんだ、本当にいい奴で、どうかするとちょっと惚れてたりもした(えへ)のに、ベジタリアンであることだけがいつも気に食わないのでした(でもいまでも仲良しです♪)。
東南アジアでは豊かな食を満喫する一方で、インドに入ると今度は宗教上の理由で、厳格な菜食・非菜食の別がある世界になります。ベジタリアンでなくとも、動物性食品、たとえばお肉や乳製品はとても高価で、日々口にする食品ではなかったりします。ビンボーな人たちは、だいたいダールという豆のスープカレー状のものと、チャパティかご飯といったひじょうにシンプルな食事で日々過ごしていたり。いわゆるハレとケというのがまだ存在していました。
そういう土地に長期滞在をし、ヨーガやアーユルヴェーダに触れていくなかで、一時期かなり厳格な菜食を実行したことがありました。菜食を徹底すると確かに身体は軽いし、何より日本のような加工食品がない土地で素材からつくるシンプルな食事ばかりしていると、だんだんと完璧主義のようになり、少しでも毒になるような食べ物を口にしたくない、というような一種の強迫観念のようなものが生まれていたからです。無性にチキンが食べたい! と思うことが時たまあっても、スーパーなどはなく、鶏屋でキエーキエー鳴く鶏を選んでその場で潰してもらわねばなりません。たいがいは、鶏屋の前まで行ったはいいが結局怖気づいて買えない、といった風でした。
それでも一度、あまりにお肉が食べたくて、友人のアキオくんに頼んで買ってきてもらったことがあります。絞めたての鶏肉はホカホカと温かくて、さっきまで生きていた感が包みの外側からもはっきりと感じられました。アキオくんがネギと塩炒めにしてくれたそのチキンは、本当に涙が出るほどおいしかった! そしてその夜、わたしはなんだか血が沸き立つような妙な興奮状態で眠れなくなってしまい、ああ、これが生き物を殺して食べるということか、そうかこれが肉食するという行為にともなう高揚か、とひとり納得したのでした。
東南アジアでベンがベジタリアンである理由はなんだか気に食わなかったけれど、インドのような土地で、普段は菜食、時々肉食、というスタンスは、そんなわけで、あっさり受け入れることができました。
そして、改めて気づくのです。インドにいると、肉、高いな、と。正確な数字はもはや覚えていないのですが、たとえばトマト2キロが100円だとすると、鶏一羽2キロは600円、その差6倍。日本の鶏肉はどうでしょう。鶏肉、卵、乳製品。野菜と比べてそこまで高いと思ったことはありません。もちろん、鶏一羽で買うわけではないので、その分安くなるという事情はあるにせよ。
あのおいしいホカホカの鶏肉は、高い代金と引き換えにする価値のある鶏肉だったのではないか。だってホカホカだったもの、さっきまで生きていた生き物なんだもの。そして、日本の鶏肉は、なぜ安いのだろう。答えは、そう、大量生産されているから、ですよね。食べるなら、いっそヒヨコから育てて自分で殺して食べたい。それはできなくても、時々、贅沢でありがたいものとして食べるくらいが、いいや。いつの間にか、そんな風に思うようになりました。
だから菜食を実行するにあたって「動物が可哀想だから」という理由は、わたしにはありませんでした。理由を見つけるとすれば、わたしにとって一番説得力があるのは、食肉を育てるのが非常に効率が悪いという理由です。「牛を一頭育てるのに必要な土地を、人間が食べる穀物を育てる土地とした場合、牛一頭で養える何倍もの人口を養うことができる」というものです。
インドは菜食・非菜食が宗教によってもはっきりしているので、たとえば、厳格な菜食のヒンドゥー教徒と、食にあまりタブーがなく肉食も盛んなシーク教徒では、体格からして全然違う印象があります。ビンボーで万年ダールとチャパティだけの食事の人と、裕福でモリモリお肉や乳製品を摂る人の見た目の差も歴然としています。動物性たんぱく質をとるほうが身体が大きくなるんだな、というのは実感としてありますよね。栄養失調は論外として、でも、大きくなればいいというものでもないし、小さくて効率がよくて成人病などの病気がない身体のほうが、わたしはいいと思うのです。
また「普段は菜食、時々肉食」という食習慣を保たないと、インドはあの巨大な人口を支えていくことができないとも思います。そしてそれはインドだけではなく全世界に言えることだと思うのです。「普段は菜食、時々肉食」でどうやら問題ないらしいのはインドを見れば分かるので、毎食毎食、何らかの動物性食品をとらなくてもいいのかな、とわたしは思います。その代わり、キーッとお肉が食べたいときは、丁寧に育てられたお肉を、うんと高いお金を出して買っていただけばいい。わたしは工場製品としての動物性食品は要らないけれど、日本の、まっとうで心ある生産者の畜産や漁業や酪農は応援したいです。
いまは日本で会社員として暮らしているので、外食もしますし、子どもの発達には少々の動物性食品が必要だとも思うので、インドにいた頃のような、完全な「肉抜き」をしているわけではありません。それでも、数か月肉絶ちをしてたまに肉食をするときのあの高揚感は、捨てがたい魅力があるなあ、できればまた体験したいなあ、と思います。なんだかものすごーく自分が原始的な生き物になった気がして、ムラムラメラメラギラギラと生きる力が湧いてくる、とでもいいましょうか。
そんなこんなの経緯があって出会ったのが、あな吉さんの「ゆるベジ」でした。普段はついつい摂りすぎてしまう動物性食品をすっかり抜いた、かつ、おいしいレシピ。生活を大きく変えたり、主義主張を声高に叫ぶのではなく、ゆるーく菜食を実行してみる、という発想。それまでわたしが考え実行してきたことがつまり「ゆるベジ」だったわけなのです。
毎日たくさんの、まだ食べられる食べ物が廃棄されていきます。飽食する一方で、飢える人がいる。空腹が理由で争いがおき、人の心が荒み、無駄に死ななければならない人がいる。目の前の一見、豊かな食卓と、どこかのお腹を空かせた子どもを同時に思うとき、世界のそんなアンバランスさが、わたしはせつないです。子どもがお腹を空かせていることほど我慢がならないことは、ありません。
わたしと同じようにそんなアンバランスさがせつない人を増やし、みなが限られた資源を分け合い、空腹な人をひとりでも減らすこと。それが、わたしがゆるベジを続ける理由です。気の遠くなるような、あるいは大多数の人には一笑にふされてしまうような試みですが、ゆるベジは世界を救うとわたしは本気で思っています。
原発と肉食や遺伝子組み換えの話はなんだか似ています。電気をジャンジャン使ってもっと便利に快適に過ごすためには原発が必要で、お肉をガンガン飽食する人類を支えるためにはより多くの収穫が得られる遺伝子組み換え作物が必要で。わたしはどちらも最小限つましくあればいいです。
インドでは日常的に計画停電が行われていて「電気がない」ことを前提に街がつくられ、人々の生活が確立していました。もちろん、その不便さをインド(や同じような状況の国々)の人にこれからも強要し続けていくことをよしとするわけではありません。日本が、いま犯している過ちをもとに、不便すぎず、でもわたしたちの子孫が暮らす地球環境を少しでもマシに保てるような、そんな舵取りをすべきだと思っています。そのためにわたしにができることは、まったくもって遠回りで徒労に終わってしまうのかもしれないけれど、ゆるベジと、それにまつわる、いわゆる「エコ」を実行し、発信していくことだと信じています。
赤い月を眺めた人々は、みな同じ空の下にいました。そんな無数の人々の、無数の暮らしや人生から、少しでもアンバランスがなくなっていくことを願います。
皆既月食を見上げた、ゆるべじプロフェッショナルスクール卒業の日の夜に
ジャハイラ・ミキ(風邪っぴき)

人生は一度だけ 〜ボリウッド映画いまむかし〜
みなさんこんばんは。ゆるベジスパイス部部長のジャハイラ・ミキです(少しは慣れてきたか?)。
お料理とは全く関係がないけれど、今日はボリウッド映画の話をばいたしましょうか。ちょっと長くなりますよ♪
ボリウッドとは、インドのヒンディー語映画の中心地ボンベイ(現在はムンバイ)をハリウッドとかけた言葉です。ご存知の方も多いと思いますが、インドは世界に誇る映画大国で、地域によって言語が違うため、その地域の言語の映画がそれぞれに盛んに作られています。どの言語の映画も大変興味深いのですが、ひとまずわたしが一番ハマっていたのは、北インドを中心としたヒンディー語圏のヒンディー語映画でした。
きっかけは実にありがちですが、1998年、南インドのタミル語映画「ムトゥ・踊るマハラジャ」。渋谷の映画館に合計何回通ったか覚えていないくらい通いつめて何度も見ました。ほどなくマレーシアのペナン島に留学することになり、その地のインド人街にて、タミル語映画のVCD(ビデオCD)を漁るうち、ヒンディー語のボリウッド映画に出会い、加速度的にハマっていき……。
ついには映画見たさにインドに度々向かい、時にはムンバイに長期滞在をして「1日3本の映画を見る!」という訳の分からない誓いを立てて映画三昧をしたりしました。ちなみにインドの映画は3時間を超えるような作品が多く、これを1日3本は、最後のほうは頭痛がしてきて、大変にキツかったです。ムンバイではたいがいサルベーション・アーミー(救世軍)というキリスト教系の団体が経営するバックパッカー御用達の安宿に泊まっていたのですが、門限が厳しく、最終の回を見てから帰宅すると0時を回っていたりして、いつも朝になると風紀委員みたいなオバサンに嫌味を言われていました。毎晩、夜遊びに勤しんでいると思われていたようです(笑)。しまいには門番のオジイサンを手懐けて、夜中にこっそり入れてもらっていましたが……。
しかし、2000年に大学を卒業して就職すると、なかなかそんな機会もなくなっていきました。ちょうどその頃、ボリウッド映画には新しい風が吹き始めていて、わたしがこよなく愛した、大仰なストーリーに派手なアクションに古典的な家族愛といった時代がかった作風から、もっと現代的で垢抜けた西洋的な作風が主流になりつつありました。それはそれで面白かったのですが、一番の楽しみであった古典の要素の入った踊りがきちんとできる女優さんが減ってしまったことや、仕事の忙しさもあって次第に疎遠になっていきます。
その後、会社を辞めて再びインド通いが始まったりもしました。20代後半、色々迷うこともあり、「このまま忙しさにかまけて歳をとりたくない」というような、いわば「逃げ」の姿勢で自分の立ち位置を決めず、ただただ旅をしていたい、と思っていた時期でした。知人が相次いで不慮の事故で亡くなったり、目の前であっけなく人が死ぬ場面に遭遇してしまったり、かと思えば世を儚んで死んでしまいそうな人が思いがけず生に執着していることを思い知らされたり、人間の生々しい生死というものに、人生で初めて深く触れた時期でもありました。
それから10年余りがたち、時々は話題作のDVDなども見てはみるものの、すっかりボリウッドと一定の距離をおいたかのような日々を送っていた今年の9月。ラテンビート映画祭という、ラテンものを扱う映画祭で、なぜかボリウッド作品が上映されるとのTwitter情報が。タイトルは「人生は一度だけ(Zindagi Na Milegi Dobara)」。聞けば舞台がスペインで、スペイン観光局の全面協力を得ているからとか。上映が21時開始というのは、幼い子を抱えた母にはなかなかに敷居が高かったのですが、夫の協力を得て観に行くことができました。
結果。2000年頃、やや無理のある感じで良くも悪くも西洋的に転換しつつあったボリウッドが、いまやすっかりお洒落な要素をすべからく自家薬籠中のものとしているのを、まざまざと見せつけられました。多少誇張した感はあるものの、いそうな登場人物に、ありそうな場面状況設定。学生時代の友人3人が、昔からの約束であった、独身最後のヤロウ旅をする。
幼い頃に死んだ父の借金で苦労し、お金がこの世の全てと信じる株ブローカー・アルジュン Arjunには、ボリウッド映画界きってのサラブレッド超人リティック・ローシャン Hritik Roshan。彼がデビューしたのがちょうど2000年で、オーストラリアに暮らす富豪の息子(とその生まれ変わり)役という華々しいミレニアム・ヒーローの登場だったのをよく覚えています。このKaho Na Pyaar Haiという映画の彼の踊りがまた、腰の据わった、安定感のある、なんとも魅力的なもので、それまでのボリウッド映画におけるNo.1ヒーローであるシャー・ルク・カーン Shah Rukh Khanもこれで終わるか、と思うような輝きを放っていたものです(われらがシャー・ルクは40代のいまも現役ヒーローとして踏ん張ってます♪)。
Hritikが主人公かと思いきや、ほかのふたりも同じくらいの存在感。父親が死んだあとに、その父は育ての親であり、本当は母親と自分を捨てた実の父がスペインにいることを知ったイムラーン Imran(Farhan Akhtar)と、結婚を控えて最高にハッピーなはずなのにどこか腑に落ちていない感が残るカビール Kabir(Abai Deor)。このふたりは、わたしのボリウッド熱が冷めてしまってから出てきた俳優さんたちなので、今回がお初の鑑賞でした。
キンキン女声のズンチャカズンチャカでないお洒落な音楽に、いまどきのデリーやムンバイなら充分にいそうな程度に裕福な人物設定(インド映画におけるお金持ちは度を越した富豪として描かれることが多かった)、そしてタイトルの「人生は一度だけ」。邦題は意訳ではなく、ほぼ原題通り(Zindagi=人生、Na=〜ない、Milegi=現れる/訪れる Dobara=2回(再び)。
この何気ないタイトル、昔のインド映画を知る身には、なかなかに刺激的です。なぜか? それはですね、インドの宗教の8割を占めるというヒンドウー教の世界観のベースには、生まれ変わり、輪廻転生があって、それは生活のありとあらゆる隅々に、ひいては映画の世界にも色濃く反映されてきたからです。
今は身分も低く貧しく苦しいが、この人生で身分相応に真面目に働けば、次はよりよい人生に生まれ変われる、だから黙って大人しくいまの状況を受け入れろ。よく知られているカースト制度は、インドの長い歴史のなかで、富める者・支配する者に都合のよいように、生まれ変わりを大前提としたヒンドゥー教の世界観を、いわば利用してきた事実があります。そうでなくとも、「親の決めた相手と黙って結婚しなさい、それがあなたの運命なんだから受け入れなさい。逆らったら一族が地に落ち、来世は大変なことになるよ」というように、あらゆる抑圧の源に、この「生まれ変わり」があったように思います。
映画の世界でも、「生まれ変わり」は定番のテーマだったりします。わたしが実際に観たなかでは、古くは1995年の「Karan Arjun」、無慈悲な支配者に殺されてしまった息子たちが、母の願いのもとに生まれ変わり復讐を遂げる。最近では2007年の「Om Shanti Om」も、無念の死を遂げた青年が生まれ変わってハッピーになるというお話でした。わたしが観きれていないなかにも、おそらく何本もの「生まれ変わり」モノがあると思います。
そんな中で、いきなり「人生は二度とない(人生は一度だけ)」ですよ。わかりますでしょうか、この衝撃。どんなに酷く辛くとも、黙って大人しく現状を受け入れることをヨシとするインド的な世界観に、殴り込みをかけるようなものです。
タイトルも新しければ、登場人物も新しい。「お金がすべて」のアルジュンを次第に変えていくヒロイン・レイラ Laila(Katrina Kaif)は、「後悔するのは好きじゃないの」と、バイクにまたがって好きな男を追いかけ、自分から堂々とチューしちゃう。カビールもお見合い婚ではなくどうやら恋愛の末の結婚のようだし、最初はレイラに気があったイムラーンは、可愛いスペイン女子が出てきたらとっととそちらに乗り換えちゃうし。昔は雨の中で踊るみたいな比喩的な表現だった「濡れ場」も、なんのためらいもなくフツーに話の流れのなかに出てくるし。わたしが知ってた頃は、女優さんはミニスカートの下にスコート着用だったし、キスシーンが必要かどうか、映画雑誌や新聞やテレビの公開番組で大真面目に大論争になっていたというのに!
いやー。隔世の感がありました。こんな極東のしがないボリウッドファンが驚愕するくらいだから、インド人はもっと驚愕したんじゃなかろーか(実際、この作品は若い世代には受けたけど上の世代には賛否両論だったようです)。まあ、色々な作品を経てこの作品が出てきたのだろうから、いきなり10年ワープしたわたしほどではないか。
さて映画の中では、3人のスペイン旅行の道中、他愛のないできごとを通して、アルジュンとイムラーンの確執(恋人をとったとられたとかいうよくあるやつ)が明らかになったり、結婚を控えて憂うつになりつつあるKabirの苦しい心中が描かれていきます。こういう状況、インドでなくても、どこでも、いかにもありそうで、今まで、どこか別世界とその非日常性を楽しんでいたボリウッド映画にはない、親近感とか共感とかを持ちました。バイクで追っかけちゃうとかね、似たようなことしたことアルあるよ、おばちゃん(笑)。いいねえ若いって。
イムラーンが会いに行くかどうか散々迷った実の父親には、往年の大俳優ナッスルディーン・シャー Naseeruddin Shah。わたしが見ていた90年代モノには、癖のある役でよく登場していたな。いつのまにこんなに白髪になっちゃったんだろ。心から悪人ではないけれど、でも逃げたちょっとずるい男、という役柄をうまーくこなしていました。この父親と息子の対面シーン、よかったです。初めて会う息子に、100%の善人ではないけれど手は差し伸べてみる父親の、人生が終盤にきた男としての諦めと皮肉の混じった微妙なトーンと、会いたくてでも怖くて、やっと会ってはみたけれど失望し、母親や亡き育ての父親への思いを新たにした息子と。泣けます。
そしてなんといっても、「人生は一度だけ」というこの映画のテーマ。「お金がすべて」といい「40歳まではシャカリキに働いて金を貯めて、それから人生を楽しむ」というアルジュンに、「じゃあ、40歳までに死んじゃったらどうなるの?」と問うレイラ。結婚を迷い、「結婚というのは家族や親戚その他モロモロを巻き込むもので、自分だけが決められるものじゃないだろ?」というカビールに「でもこの人生はお前のものだ、お前が決めるんじゃないのか?」と問うアルジュン。水が怖くてどうしてもできなかったダイビングをし、海中の世界の美しさに涙するアルジュン、高所恐怖症でぜったいに嫌だと言っていたスカイダイビングをし、その体験の素晴らしさに友の肩をがっつり抱くイムラーン。できない、やれない、と思っていたことを、やれてしまったあとの爽快感。
ズシンズシンときましたねえ。そうそう、そうなんだよ。人生って一度きりなんだよ。明日死んじゃうかもしれないのに、好きな人に好きと言えなかったり、やりたくないことを無理してやってたり、やれない言い訳ばかり考えてたり、そんなの、莫迦みたいじゃね? 10年余り前、いろんなモヤモヤを残したまま死んでしまった人たちのことを思い出す。ただただ泣ける。わたしはそんなの嫌だ。人生は短いし、急に終わっちゃうかもしれないから、やりたいこと、やるぜ。
でね。わたしが過去に好きな作品はかなりの確率で、「ラストシーンに全力疾走」ルールがありまして。例えば、厳格な父親に好きでもない男との結婚を強要されていた娘が、最後の最後に自由になり、列車に乗って去っていく恋人を追いかけて全力疾走する Dilwale Dulhania Le Jayenge「花嫁は僕の胸に」(*これは日本におけるインド映画紹介の大功労者・松岡環さんの邦題。にも関わらず、かつて「シャールクカーンのDDLJラブゲット大作戦」というトホホな邦題で日本公開されたことアリ(恨))、これはもう知らなきゃモグリだねレベルのインド人の心の名作。ちょっとマイナーだけど2006年の Dor 「絆」では、夫に先立たれ、夫の家族のもと、寡婦として過酷な余世を送らざるを得なかったうら若い未亡人が、自由を求め、最後に夫を死なせた男の妻を頼って列車を追いかけるシーンがある。
この「人生は一度だけ」のラストシーンもね、うふふ、全力疾走でした。それも、スペインなのに、牛。インド人、どこへ行っても牛が忘れられないか。
その死をも覚悟した? 悲愴な決意の全力疾走のなかで、ふと笑顔になっていく3人。この笑顔の吹っ切れ具合が、なんともいえなく良くて、こちらも顔がほころび、ついでに涙腺も緩んでしまう。「人生は一度きりだ、やりたいことをやろう」という強いメッセージとともに、幕。号泣しすぎて、同行したプロスク同期生Aややの顔がまともに見れず(照)。
こういう3人が3人とも主役的な映画では、誰が一番自分の好みか、といった辺りでも盛り上がれるものですよね(わたしだけ?)。
わたしは、女たらしでチャラチャラしているように見えて、父親のことで悩んだり詩を書き連ねたりするイムラーンがキュンときました♪ イムラーンはまた、好き嫌いはありそうですが、声がよかったです。作中、イムラーン役のFarhan Akhtarの詩人でもある父親Javed Akhtarの詩が何度か朗読されますが、グっときましたねえ。あと、3人のなかでも超人Hritikの踊りはあまりにも定評がありすぎて、今回も3人並んだらどうしても目立ってしまっていたけれど、何度も見ていると、なにげにFarhanの踊りもよかった。Hritikみたいに全身全霊というのではなく、ちょっと抑えた「引き」の踊りとでもいいましょうか。筋肉ムキムキ具合も、彼くらいがちょうどセクシーでいい(笑)
アルジュン役のHritikは、いつもは皇帝だったりスーパーヒーローだったりで家来たくさん従えてたりフェラーリやヘリコプターに乗って派手に登場というのが多いのに、今回は(ちょっと大仰だけど)普通の人間役(笑)で、インド在住の友人いわく「超人オーラを消した」感じで、普通に楽しそうにやっている感じがとても伝わってきました。相変わらず度を越したムキムキっぷりで、マッチョ苦手な向きには、まあ、どうかな。途中、しっかり割れた腹筋を披露するサービスシーン(?)が時々ありました。レイラにお顔ナデナデされてニヤけきっただらしない超人の顔……、まあ、好きな人は好きでしょう。
カビールを演じるAbai Deorは、眼鏡青年好きにはたまらんだろうキュートさ。本当に、He's so cute!! という悲鳴が聞こえてきそうなラブリーさだ。アルジュンが行う心理テストで、「Sex」と聞かれて「I like♪」とニコっと答えちゃうあたり、可愛かったなあ。婚約者がだんだん重たくなってくる心理もわからなくもなく、ささいな誤解を解けずにずるずる流されていく優柔不断さもわからなくもなく、少年ぽさと大人の男の混じった感じがよかった。字幕では「串刺しにされたいのか?」とビビる台詞、ヒンディー語では「タンドリーチキンになりたいのか?」って言ってました。カワイイ。
わたしはたぶん、20代の頃、こんな旅をしたかったんだろうな。いや今でもしたいけど。っていうかわたしが主に行っていたのはインドの山奥とかであって、オンボロバスに揺られ揺られ、いつ着くとも知れない闇の中であって、間違ってもこんなお洒落感漂う旅じゃなかったけれど。スペイン観光局全面協力だけあって、スペインの美しい景色がこれでもかと出てきて目の保養にもなります。スピッツの歌「青い車」みたいなスカイブルーのスポーツカーと、地平線の見えるまっすぐな一本道、タテガミをなびかせた馬が並走して、とかね、サマになりすぎるよね。朝日のなかで和解する男ふたり、心からの「Sorry」、許すことができた男の安堵の顔、顔洗えよ無精髭ボーボーでキタナイよ、泣ける。うう。
きれいなお姉さんも出てきますが、そして彼女らもいい仕事してますが、わたしはおばちゃんなので、感想がもっぱら男子のみに関してだったことをここにお詫び申し上げます。
[余談1] 途中、トマト祭りではっちゃけるシーンもよかったですねえ。意味なくトマトの投げ合い。青春だよねえ。インドには2月から3月ごろ、ヒンドゥー教三大祭りのひとつと言われるホーリーというお祭りがあってね、色粉を溶かした水をかけあって祝うんだけどね、あれねー、お上品な都会ならともかく、わたしが懇意の巨大な100万人ムラのバナーラスではねえ、バングラッシー(バング=大麻、宗教行事には合法)をグビグビ飲んで完全にキマッた男どもがねえ、外国人女性を襲うんだよねえ。着てた服は元の色をとどめてないし、触られまくるし、コンタクトレンズ(当時)に直接、粉塗り込められて激痛だったし、最後はみんなでガンジス河に入って大騒ぎしてねえ。いやー。そういう下地があるから、あのトマト祭りシーンはインド人的にも全然違和感なかったように思います、はい。
[余談2] 挿入歌「Senorita」の最後のほう、Hritik扮するアルジュンが腰のあたりで手をヒラヒラさせる動きをしますが、これ、彼のデビュー作 Kaho Na Pyar haiのダンスシーン「Ek Pal Ka Jeena」の非常に特徴的だった振り付けのパクリですね。
[余談3] Hritikは右手の親指が2本あるとして有名で、わたしも映画雑誌のインタビューなどで読んだことがありましたが、実は彼の作品はあまり観ていないので実際に映っているところを見たことがありませんでした。この映画では、DVDのジャケットにもなっている3人の絵でも確認できるし、作中、オープンカーに乗りながら手をヒラヒラさせるシーンでも確認できます。指や手や足が多いのは、神様に近い(インドの神様、手足いっぱいあるでしょ?)ということで、むしろラッキーサインというインド文化です。
そんなわけで、この「人生は一度だけ」、また上映される機会があったら、ぜひ観てください。フツーにロードムービーとして観てもよくできているし、インドのもろもろの事情を知っていると、なお、楽しめると思います。以上、ジャハイラ・ミキの熱い(そしてとりとめのなさ過ぎる)ボリウッド・トークでした♪
↓DVDのジャケット。イカス!!↓

↓挿入歌 Senoria ↓
最初聴いたときはスペイン語とヒンディー語のミックスでなんてカッコわりーんだと思ったのに、
いまやすっかり我が家の定番曲。2歳の娘まで歌い出す始末。
お料理とは全く関係がないけれど、今日はボリウッド映画の話をばいたしましょうか。ちょっと長くなりますよ♪
ボリウッドとは、インドのヒンディー語映画の中心地ボンベイ(現在はムンバイ)をハリウッドとかけた言葉です。ご存知の方も多いと思いますが、インドは世界に誇る映画大国で、地域によって言語が違うため、その地域の言語の映画がそれぞれに盛んに作られています。どの言語の映画も大変興味深いのですが、ひとまずわたしが一番ハマっていたのは、北インドを中心としたヒンディー語圏のヒンディー語映画でした。
きっかけは実にありがちですが、1998年、南インドのタミル語映画「ムトゥ・踊るマハラジャ」。渋谷の映画館に合計何回通ったか覚えていないくらい通いつめて何度も見ました。ほどなくマレーシアのペナン島に留学することになり、その地のインド人街にて、タミル語映画のVCD(ビデオCD)を漁るうち、ヒンディー語のボリウッド映画に出会い、加速度的にハマっていき……。
ついには映画見たさにインドに度々向かい、時にはムンバイに長期滞在をして「1日3本の映画を見る!」という訳の分からない誓いを立てて映画三昧をしたりしました。ちなみにインドの映画は3時間を超えるような作品が多く、これを1日3本は、最後のほうは頭痛がしてきて、大変にキツかったです。ムンバイではたいがいサルベーション・アーミー(救世軍)というキリスト教系の団体が経営するバックパッカー御用達の安宿に泊まっていたのですが、門限が厳しく、最終の回を見てから帰宅すると0時を回っていたりして、いつも朝になると風紀委員みたいなオバサンに嫌味を言われていました。毎晩、夜遊びに勤しんでいると思われていたようです(笑)。しまいには門番のオジイサンを手懐けて、夜中にこっそり入れてもらっていましたが……。
しかし、2000年に大学を卒業して就職すると、なかなかそんな機会もなくなっていきました。ちょうどその頃、ボリウッド映画には新しい風が吹き始めていて、わたしがこよなく愛した、大仰なストーリーに派手なアクションに古典的な家族愛といった時代がかった作風から、もっと現代的で垢抜けた西洋的な作風が主流になりつつありました。それはそれで面白かったのですが、一番の楽しみであった古典の要素の入った踊りがきちんとできる女優さんが減ってしまったことや、仕事の忙しさもあって次第に疎遠になっていきます。
その後、会社を辞めて再びインド通いが始まったりもしました。20代後半、色々迷うこともあり、「このまま忙しさにかまけて歳をとりたくない」というような、いわば「逃げ」の姿勢で自分の立ち位置を決めず、ただただ旅をしていたい、と思っていた時期でした。知人が相次いで不慮の事故で亡くなったり、目の前であっけなく人が死ぬ場面に遭遇してしまったり、かと思えば世を儚んで死んでしまいそうな人が思いがけず生に執着していることを思い知らされたり、人間の生々しい生死というものに、人生で初めて深く触れた時期でもありました。
それから10年余りがたち、時々は話題作のDVDなども見てはみるものの、すっかりボリウッドと一定の距離をおいたかのような日々を送っていた今年の9月。ラテンビート映画祭という、ラテンものを扱う映画祭で、なぜかボリウッド作品が上映されるとのTwitter情報が。タイトルは「人生は一度だけ(Zindagi Na Milegi Dobara)」。聞けば舞台がスペインで、スペイン観光局の全面協力を得ているからとか。上映が21時開始というのは、幼い子を抱えた母にはなかなかに敷居が高かったのですが、夫の協力を得て観に行くことができました。
結果。2000年頃、やや無理のある感じで良くも悪くも西洋的に転換しつつあったボリウッドが、いまやすっかりお洒落な要素をすべからく自家薬籠中のものとしているのを、まざまざと見せつけられました。多少誇張した感はあるものの、いそうな登場人物に、ありそうな場面状況設定。学生時代の友人3人が、昔からの約束であった、独身最後のヤロウ旅をする。
幼い頃に死んだ父の借金で苦労し、お金がこの世の全てと信じる株ブローカー・アルジュン Arjunには、ボリウッド映画界きってのサラブレッド超人リティック・ローシャン Hritik Roshan。彼がデビューしたのがちょうど2000年で、オーストラリアに暮らす富豪の息子(とその生まれ変わり)役という華々しいミレニアム・ヒーローの登場だったのをよく覚えています。このKaho Na Pyaar Haiという映画の彼の踊りがまた、腰の据わった、安定感のある、なんとも魅力的なもので、それまでのボリウッド映画におけるNo.1ヒーローであるシャー・ルク・カーン Shah Rukh Khanもこれで終わるか、と思うような輝きを放っていたものです(われらがシャー・ルクは40代のいまも現役ヒーローとして踏ん張ってます♪)。
Hritikが主人公かと思いきや、ほかのふたりも同じくらいの存在感。父親が死んだあとに、その父は育ての親であり、本当は母親と自分を捨てた実の父がスペインにいることを知ったイムラーン Imran(Farhan Akhtar)と、結婚を控えて最高にハッピーなはずなのにどこか腑に落ちていない感が残るカビール Kabir(Abai Deor)。このふたりは、わたしのボリウッド熱が冷めてしまってから出てきた俳優さんたちなので、今回がお初の鑑賞でした。
キンキン女声のズンチャカズンチャカでないお洒落な音楽に、いまどきのデリーやムンバイなら充分にいそうな程度に裕福な人物設定(インド映画におけるお金持ちは度を越した富豪として描かれることが多かった)、そしてタイトルの「人生は一度だけ」。邦題は意訳ではなく、ほぼ原題通り(Zindagi=人生、Na=〜ない、Milegi=現れる/訪れる Dobara=2回(再び)。
この何気ないタイトル、昔のインド映画を知る身には、なかなかに刺激的です。なぜか? それはですね、インドの宗教の8割を占めるというヒンドウー教の世界観のベースには、生まれ変わり、輪廻転生があって、それは生活のありとあらゆる隅々に、ひいては映画の世界にも色濃く反映されてきたからです。
今は身分も低く貧しく苦しいが、この人生で身分相応に真面目に働けば、次はよりよい人生に生まれ変われる、だから黙って大人しくいまの状況を受け入れろ。よく知られているカースト制度は、インドの長い歴史のなかで、富める者・支配する者に都合のよいように、生まれ変わりを大前提としたヒンドゥー教の世界観を、いわば利用してきた事実があります。そうでなくとも、「親の決めた相手と黙って結婚しなさい、それがあなたの運命なんだから受け入れなさい。逆らったら一族が地に落ち、来世は大変なことになるよ」というように、あらゆる抑圧の源に、この「生まれ変わり」があったように思います。
映画の世界でも、「生まれ変わり」は定番のテーマだったりします。わたしが実際に観たなかでは、古くは1995年の「Karan Arjun」、無慈悲な支配者に殺されてしまった息子たちが、母の願いのもとに生まれ変わり復讐を遂げる。最近では2007年の「Om Shanti Om」も、無念の死を遂げた青年が生まれ変わってハッピーになるというお話でした。わたしが観きれていないなかにも、おそらく何本もの「生まれ変わり」モノがあると思います。
そんな中で、いきなり「人生は二度とない(人生は一度だけ)」ですよ。わかりますでしょうか、この衝撃。どんなに酷く辛くとも、黙って大人しく現状を受け入れることをヨシとするインド的な世界観に、殴り込みをかけるようなものです。
タイトルも新しければ、登場人物も新しい。「お金がすべて」のアルジュンを次第に変えていくヒロイン・レイラ Laila(Katrina Kaif)は、「後悔するのは好きじゃないの」と、バイクにまたがって好きな男を追いかけ、自分から堂々とチューしちゃう。カビールもお見合い婚ではなくどうやら恋愛の末の結婚のようだし、最初はレイラに気があったイムラーンは、可愛いスペイン女子が出てきたらとっととそちらに乗り換えちゃうし。昔は雨の中で踊るみたいな比喩的な表現だった「濡れ場」も、なんのためらいもなくフツーに話の流れのなかに出てくるし。わたしが知ってた頃は、女優さんはミニスカートの下にスコート着用だったし、キスシーンが必要かどうか、映画雑誌や新聞やテレビの公開番組で大真面目に大論争になっていたというのに!
いやー。隔世の感がありました。こんな極東のしがないボリウッドファンが驚愕するくらいだから、インド人はもっと驚愕したんじゃなかろーか(実際、この作品は若い世代には受けたけど上の世代には賛否両論だったようです)。まあ、色々な作品を経てこの作品が出てきたのだろうから、いきなり10年ワープしたわたしほどではないか。
さて映画の中では、3人のスペイン旅行の道中、他愛のないできごとを通して、アルジュンとイムラーンの確執(恋人をとったとられたとかいうよくあるやつ)が明らかになったり、結婚を控えて憂うつになりつつあるKabirの苦しい心中が描かれていきます。こういう状況、インドでなくても、どこでも、いかにもありそうで、今まで、どこか別世界とその非日常性を楽しんでいたボリウッド映画にはない、親近感とか共感とかを持ちました。バイクで追っかけちゃうとかね、似たようなことしたことアルあるよ、おばちゃん(笑)。いいねえ若いって。
イムラーンが会いに行くかどうか散々迷った実の父親には、往年の大俳優ナッスルディーン・シャー Naseeruddin Shah。わたしが見ていた90年代モノには、癖のある役でよく登場していたな。いつのまにこんなに白髪になっちゃったんだろ。心から悪人ではないけれど、でも逃げたちょっとずるい男、という役柄をうまーくこなしていました。この父親と息子の対面シーン、よかったです。初めて会う息子に、100%の善人ではないけれど手は差し伸べてみる父親の、人生が終盤にきた男としての諦めと皮肉の混じった微妙なトーンと、会いたくてでも怖くて、やっと会ってはみたけれど失望し、母親や亡き育ての父親への思いを新たにした息子と。泣けます。
そしてなんといっても、「人生は一度だけ」というこの映画のテーマ。「お金がすべて」といい「40歳まではシャカリキに働いて金を貯めて、それから人生を楽しむ」というアルジュンに、「じゃあ、40歳までに死んじゃったらどうなるの?」と問うレイラ。結婚を迷い、「結婚というのは家族や親戚その他モロモロを巻き込むもので、自分だけが決められるものじゃないだろ?」というカビールに「でもこの人生はお前のものだ、お前が決めるんじゃないのか?」と問うアルジュン。水が怖くてどうしてもできなかったダイビングをし、海中の世界の美しさに涙するアルジュン、高所恐怖症でぜったいに嫌だと言っていたスカイダイビングをし、その体験の素晴らしさに友の肩をがっつり抱くイムラーン。できない、やれない、と思っていたことを、やれてしまったあとの爽快感。
ズシンズシンときましたねえ。そうそう、そうなんだよ。人生って一度きりなんだよ。明日死んじゃうかもしれないのに、好きな人に好きと言えなかったり、やりたくないことを無理してやってたり、やれない言い訳ばかり考えてたり、そんなの、莫迦みたいじゃね? 10年余り前、いろんなモヤモヤを残したまま死んでしまった人たちのことを思い出す。ただただ泣ける。わたしはそんなの嫌だ。人生は短いし、急に終わっちゃうかもしれないから、やりたいこと、やるぜ。
でね。わたしが過去に好きな作品はかなりの確率で、「ラストシーンに全力疾走」ルールがありまして。例えば、厳格な父親に好きでもない男との結婚を強要されていた娘が、最後の最後に自由になり、列車に乗って去っていく恋人を追いかけて全力疾走する Dilwale Dulhania Le Jayenge「花嫁は僕の胸に」(*これは日本におけるインド映画紹介の大功労者・松岡環さんの邦題。にも関わらず、かつて「シャールクカーンのDDLJラブゲット大作戦」というトホホな邦題で日本公開されたことアリ(恨))、これはもう知らなきゃモグリだねレベルのインド人の心の名作。ちょっとマイナーだけど2006年の Dor 「絆」では、夫に先立たれ、夫の家族のもと、寡婦として過酷な余世を送らざるを得なかったうら若い未亡人が、自由を求め、最後に夫を死なせた男の妻を頼って列車を追いかけるシーンがある。
この「人生は一度だけ」のラストシーンもね、うふふ、全力疾走でした。それも、スペインなのに、牛。インド人、どこへ行っても牛が忘れられないか。
その死をも覚悟した? 悲愴な決意の全力疾走のなかで、ふと笑顔になっていく3人。この笑顔の吹っ切れ具合が、なんともいえなく良くて、こちらも顔がほころび、ついでに涙腺も緩んでしまう。「人生は一度きりだ、やりたいことをやろう」という強いメッセージとともに、幕。号泣しすぎて、同行したプロスク同期生Aややの顔がまともに見れず(照)。
こういう3人が3人とも主役的な映画では、誰が一番自分の好みか、といった辺りでも盛り上がれるものですよね(わたしだけ?)。
わたしは、女たらしでチャラチャラしているように見えて、父親のことで悩んだり詩を書き連ねたりするイムラーンがキュンときました♪ イムラーンはまた、好き嫌いはありそうですが、声がよかったです。作中、イムラーン役のFarhan Akhtarの詩人でもある父親Javed Akhtarの詩が何度か朗読されますが、グっときましたねえ。あと、3人のなかでも超人Hritikの踊りはあまりにも定評がありすぎて、今回も3人並んだらどうしても目立ってしまっていたけれど、何度も見ていると、なにげにFarhanの踊りもよかった。Hritikみたいに全身全霊というのではなく、ちょっと抑えた「引き」の踊りとでもいいましょうか。筋肉ムキムキ具合も、彼くらいがちょうどセクシーでいい(笑)
アルジュン役のHritikは、いつもは皇帝だったりスーパーヒーローだったりで家来たくさん従えてたりフェラーリやヘリコプターに乗って派手に登場というのが多いのに、今回は(ちょっと大仰だけど)普通の人間役(笑)で、インド在住の友人いわく「超人オーラを消した」感じで、普通に楽しそうにやっている感じがとても伝わってきました。相変わらず度を越したムキムキっぷりで、マッチョ苦手な向きには、まあ、どうかな。途中、しっかり割れた腹筋を披露するサービスシーン(?)が時々ありました。レイラにお顔ナデナデされてニヤけきっただらしない超人の顔……、まあ、好きな人は好きでしょう。
カビールを演じるAbai Deorは、眼鏡青年好きにはたまらんだろうキュートさ。本当に、He's so cute!! という悲鳴が聞こえてきそうなラブリーさだ。アルジュンが行う心理テストで、「Sex」と聞かれて「I like♪」とニコっと答えちゃうあたり、可愛かったなあ。婚約者がだんだん重たくなってくる心理もわからなくもなく、ささいな誤解を解けずにずるずる流されていく優柔不断さもわからなくもなく、少年ぽさと大人の男の混じった感じがよかった。字幕では「串刺しにされたいのか?」とビビる台詞、ヒンディー語では「タンドリーチキンになりたいのか?」って言ってました。カワイイ。
わたしはたぶん、20代の頃、こんな旅をしたかったんだろうな。いや今でもしたいけど。っていうかわたしが主に行っていたのはインドの山奥とかであって、オンボロバスに揺られ揺られ、いつ着くとも知れない闇の中であって、間違ってもこんなお洒落感漂う旅じゃなかったけれど。スペイン観光局全面協力だけあって、スペインの美しい景色がこれでもかと出てきて目の保養にもなります。スピッツの歌「青い車」みたいなスカイブルーのスポーツカーと、地平線の見えるまっすぐな一本道、タテガミをなびかせた馬が並走して、とかね、サマになりすぎるよね。朝日のなかで和解する男ふたり、心からの「Sorry」、許すことができた男の安堵の顔、顔洗えよ無精髭ボーボーでキタナイよ、泣ける。うう。
きれいなお姉さんも出てきますが、そして彼女らもいい仕事してますが、わたしはおばちゃんなので、感想がもっぱら男子のみに関してだったことをここにお詫び申し上げます。
[余談1] 途中、トマト祭りではっちゃけるシーンもよかったですねえ。意味なくトマトの投げ合い。青春だよねえ。インドには2月から3月ごろ、ヒンドゥー教三大祭りのひとつと言われるホーリーというお祭りがあってね、色粉を溶かした水をかけあって祝うんだけどね、あれねー、お上品な都会ならともかく、わたしが懇意の巨大な100万人ムラのバナーラスではねえ、バングラッシー(バング=大麻、宗教行事には合法)をグビグビ飲んで完全にキマッた男どもがねえ、外国人女性を襲うんだよねえ。着てた服は元の色をとどめてないし、触られまくるし、コンタクトレンズ(当時)に直接、粉塗り込められて激痛だったし、最後はみんなでガンジス河に入って大騒ぎしてねえ。いやー。そういう下地があるから、あのトマト祭りシーンはインド人的にも全然違和感なかったように思います、はい。
[余談2] 挿入歌「Senorita」の最後のほう、Hritik扮するアルジュンが腰のあたりで手をヒラヒラさせる動きをしますが、これ、彼のデビュー作 Kaho Na Pyar haiのダンスシーン「Ek Pal Ka Jeena」の非常に特徴的だった振り付けのパクリですね。
[余談3] Hritikは右手の親指が2本あるとして有名で、わたしも映画雑誌のインタビューなどで読んだことがありましたが、実は彼の作品はあまり観ていないので実際に映っているところを見たことがありませんでした。この映画では、DVDのジャケットにもなっている3人の絵でも確認できるし、作中、オープンカーに乗りながら手をヒラヒラさせるシーンでも確認できます。指や手や足が多いのは、神様に近い(インドの神様、手足いっぱいあるでしょ?)ということで、むしろラッキーサインというインド文化です。
そんなわけで、この「人生は一度だけ」、また上映される機会があったら、ぜひ観てください。フツーにロードムービーとして観てもよくできているし、インドのもろもろの事情を知っていると、なお、楽しめると思います。以上、ジャハイラ・ミキの熱い(そしてとりとめのなさ過ぎる)ボリウッド・トークでした♪
↓DVDのジャケット。イカス!!↓

↓挿入歌 Senoria ↓
最初聴いたときはスペイン語とヒンディー語のミックスでなんてカッコわりーんだと思ったのに、
いまやすっかり我が家の定番曲。2歳の娘まで歌い出す始末。
チャパティってなに? 〜とうふチャパティへの思い〜
こんにちは、ゆるベジスパイス料理研究部部長のジャハイラ・ミキです。
普段は地味〜に会社員をやっているのに急にハイカラな名前を名乗ってしまって若干戸惑い気味ですが、まぁ、こういうのは言ったもん勝ちですよね! (ね?)
今日は、2011年11月26日(土)のプロスク卒業制作発表会で配布した資料に載せた文章に加筆して、チャパティに対するわたしの熱い思いを述べてみたいと思います!
ナーンだけがインドパンではない!?
皆さんは、インドのパンと聞いてすぐに思い浮かぶのは、ナンでしょう? ナーンではない
でしょうか。いきなりオヤジギャグですみません……。
ナーンとは、皆さんご存知、本格インドカレーにはなくてはならない、もちもちふっくらした、大きくて平たいパンです。精製した強力粉を用い、イーストで発酵させます。それに対してチャパティとは、ピラピラと薄く、全体的に茶色っぽい薄焼きパンのことをいいます。全粒粉を用い、発酵はさせません。
ナーンは、底に炭火を入れたタンドールという五右衛門風呂のような大きな壺型の窯の内側に、手でぺったりと貼り付けて焼きます。それに対しチャパティは、タワという淵がないフライパンで焼き、最後に直火で膨らませて仕上げます。
つまり、ナーンは大掛かりな設備がいる高級レストランのパンなのに対し、チャパティは手軽につくる家庭のパンなのです。
愛しのチャパティ
インドの人は、チャパティをこよなく愛しています。主食ですから、大人の男性なら、一回の食事で10 枚くらいはペロリと食べます。
粉と水だけでこねるシンプルなチャパティの生地は作り置きができず、焼いたものも冷めると固くなってとても食べられません。だから食事のたびに、インドのお母さんはせっせと何枚もの、家族の規模によっては100枚を超えるようなチャパティを焼きます。「チャパティが焼けないとお嫁にはいけない」とまで言われているとか、いないとか(わたしが時々スパイス料理を学びに通うキッチン・スタジオ・ペイズリーでは、インストラクターコースを修了するのに「チャパティ検定」があると先生が言っていました……)
また、最低限の栄養を網羅した食事として、チャパティとダール(シンプルな挽割豆のスープ状のカレー)があればよい、とされているのは、日本人のご飯と味噌汁に通じる感覚と言えるかもしれません。
ただし、ナーンやチャパティは、乾燥し寒暖の差があり、小麦が収穫できる北インドに由来するパンです。年間を通して高温多湿で、米が豊富に収穫される南インドではあまり一般的ではありません。
インドの小麦と米の分布は確か中学の地理で習ったように記憶していますが、この主食の違いにより、大雑把に分けてインドの料理は北と南に分かれるといってよいと思います。
ジャパニーズ・チャパティ誕生!
さて、そんなインド人にとってはたいそう思い入れのあるチャパティ、もちろんわたしも大好きです! 大好きなのですが……、問題は、世知辛い都会でキリキリしながらサラリーウーマン母ちゃんをやっていると、家族の食事の支度は常に時間との闘い、という点。
汗をかきかき粉をこねて、家族が食べるのに合わせて次々と焼きたてを出して、なんてできっこありません。
愛はあるが、時間はない!
おまけに気づけばいつもお豆腐の賞味期限が目前に! 娘は偏食気味で白飯とパンしか食べない! これはピンチだ!
そんな諸々の事情から生み出されたのが「とうふチャパティ」でした。
インドでは一般的に大豆の加工品である大豆タンパクは比較的入手しやすいのですが、大豆自体はそれほどポピュラーな食べ物ではありません。豆腐も中国料理には使うようですが、それほどポピュラーな食べ物ではありません。電気事情も悪いですし、母の愛情をこれでもか! とこめる(なくてはならない)究極のスローフード・チャパティ生地を、フードプロセッサーでガーなんて、許されるわけがありません。
だからこのレシピは、日本で独自の進化を遂げたジャパニーズ・チャパティなのです。
実は、卒業制作発表会の数日前、前述のペイズリーで、たいへん手間のかかるプーリーという揚げパンの生地をグリグリと力を込めて30分以上捏ねていました。試食の際、持参したとうふチャパティをインド料理のスペシャリストである先生に試食していただいたら、「あら、おいしいわね」との嬉しいお言葉。
すっかり気をよくして、わたし、「粉と豆腐をフードプロセッサーで1分間ガーして生地が完成するんです♪」 と神をも恐れぬ発言。先生、とっても優しい笑顔で絶句していらっしゃいました……(スミマセン)。
写真は、2005年にインド北部、ヒンドゥー教最大の聖地バナーラス(ベナレス、バラナシとも)にて知人のお母さんがつくってくれたご飯です。聖なるガンジス河でとれた魚のカレーと豆のカレー。チャパティがバッチリのっかってますね。ここんちのチャパティはわりと大きめでした。もちろん、お母さんがホッカホカの焼きたてをのせてくれたんですよ♪
いま思い出して見てもジュル〜っとなるほど、んまかった〜♪

普段は地味〜に会社員をやっているのに急にハイカラな名前を名乗ってしまって若干戸惑い気味ですが、まぁ、こういうのは言ったもん勝ちですよね! (ね?)
今日は、2011年11月26日(土)のプロスク卒業制作発表会で配布した資料に載せた文章に加筆して、チャパティに対するわたしの熱い思いを述べてみたいと思います!
ナーンだけがインドパンではない!?
皆さんは、インドのパンと聞いてすぐに思い浮かぶのは、ナンでしょう? ナーンではない
でしょうか。いきなりオヤジギャグですみません……。
ナーンとは、皆さんご存知、本格インドカレーにはなくてはならない、もちもちふっくらした、大きくて平たいパンです。精製した強力粉を用い、イーストで発酵させます。それに対してチャパティとは、ピラピラと薄く、全体的に茶色っぽい薄焼きパンのことをいいます。全粒粉を用い、発酵はさせません。
ナーンは、底に炭火を入れたタンドールという五右衛門風呂のような大きな壺型の窯の内側に、手でぺったりと貼り付けて焼きます。それに対しチャパティは、タワという淵がないフライパンで焼き、最後に直火で膨らませて仕上げます。
つまり、ナーンは大掛かりな設備がいる高級レストランのパンなのに対し、チャパティは手軽につくる家庭のパンなのです。
愛しのチャパティ
インドの人は、チャパティをこよなく愛しています。主食ですから、大人の男性なら、一回の食事で10 枚くらいはペロリと食べます。
粉と水だけでこねるシンプルなチャパティの生地は作り置きができず、焼いたものも冷めると固くなってとても食べられません。だから食事のたびに、インドのお母さんはせっせと何枚もの、家族の規模によっては100枚を超えるようなチャパティを焼きます。「チャパティが焼けないとお嫁にはいけない」とまで言われているとか、いないとか(わたしが時々スパイス料理を学びに通うキッチン・スタジオ・ペイズリーでは、インストラクターコースを修了するのに「チャパティ検定」があると先生が言っていました……)
また、最低限の栄養を網羅した食事として、チャパティとダール(シンプルな挽割豆のスープ状のカレー)があればよい、とされているのは、日本人のご飯と味噌汁に通じる感覚と言えるかもしれません。
ただし、ナーンやチャパティは、乾燥し寒暖の差があり、小麦が収穫できる北インドに由来するパンです。年間を通して高温多湿で、米が豊富に収穫される南インドではあまり一般的ではありません。
インドの小麦と米の分布は確か中学の地理で習ったように記憶していますが、この主食の違いにより、大雑把に分けてインドの料理は北と南に分かれるといってよいと思います。
ジャパニーズ・チャパティ誕生!
さて、そんなインド人にとってはたいそう思い入れのあるチャパティ、もちろんわたしも大好きです! 大好きなのですが……、問題は、世知辛い都会でキリキリしながらサラリーウーマン母ちゃんをやっていると、家族の食事の支度は常に時間との闘い、という点。
汗をかきかき粉をこねて、家族が食べるのに合わせて次々と焼きたてを出して、なんてできっこありません。
愛はあるが、時間はない!
おまけに気づけばいつもお豆腐の賞味期限が目前に! 娘は偏食気味で白飯とパンしか食べない! これはピンチだ!
そんな諸々の事情から生み出されたのが「とうふチャパティ」でした。
インドでは一般的に大豆の加工品である大豆タンパクは比較的入手しやすいのですが、大豆自体はそれほどポピュラーな食べ物ではありません。豆腐も中国料理には使うようですが、それほどポピュラーな食べ物ではありません。電気事情も悪いですし、母の愛情をこれでもか! とこめる(なくてはならない)究極のスローフード・チャパティ生地を、フードプロセッサーでガーなんて、許されるわけがありません。
だからこのレシピは、日本で独自の進化を遂げたジャパニーズ・チャパティなのです。
実は、卒業制作発表会の数日前、前述のペイズリーで、たいへん手間のかかるプーリーという揚げパンの生地をグリグリと力を込めて30分以上捏ねていました。試食の際、持参したとうふチャパティをインド料理のスペシャリストである先生に試食していただいたら、「あら、おいしいわね」との嬉しいお言葉。
すっかり気をよくして、わたし、「粉と豆腐をフードプロセッサーで1分間ガーして生地が完成するんです♪」 と神をも恐れぬ発言。先生、とっても優しい笑顔で絶句していらっしゃいました……(スミマセン)。
写真は、2005年にインド北部、ヒンドゥー教最大の聖地バナーラス(ベナレス、バラナシとも)にて知人のお母さんがつくってくれたご飯です。聖なるガンジス河でとれた魚のカレーと豆のカレー。チャパティがバッチリのっかってますね。ここんちのチャパティはわりと大きめでした。もちろん、お母さんがホッカホカの焼きたてをのせてくれたんですよ♪
いま思い出して見てもジュル〜っとなるほど、んまかった〜♪

ジャハイロからジャハイラへ
うわはっはっは! みなさんおはようございます。
いやですね、このブログ、エーゴでも発信していきたいなーと画策してまして、そうなると名前のローマ字表記をどうにかせにゃーとふとインターネット上の名前の意味検索などを調べてみましたら。
Jahiroって思い切りアラビア語圏男子のファースト・ネームじゃん。Jahyroも同じく。マジー? Facebookなどでこの名を名乗る人物もみんな濃ゆい顔の男子ばかり〜(汗)
そもそもこのジャハイロ、海外でわたしの本名をどう読み間違えたか「Mrs. ジャハイロ」と呼ばれ、本人しばらく気づかなかった、というエピソードをもとに考えた活動名でして(将来の野望はともかく、いまのところ会社員なので、本名まんまだと色々メンドーというかアレかなーと活動名をでっちあげたわけです)。
なに人か不明で怪しい音の響きがけっこう気に入っていたのですが、アラブ圏ヒゲおやじを想像されては、わたしの清楚で可憐な乙女イメージが崩れるのではなかろうか。
しかし、Boy's nameのあとに、Girl's name: Jahira と書かれているではありませんか。もはやこちらに改名するしか、わたくしの女子としてのイメージを守ることはできなさそうです。
というわけで、突然ですが、名乗って1週間ではや改名いたします次第でございます。
おそらくJahiraの読みはジャハイラではないと思うのですが、そのへんはまあよしとします。ちなみにアラビア語の意味は「宝石」だそうです。あらステキ♪
いやですね、このブログ、エーゴでも発信していきたいなーと画策してまして、そうなると名前のローマ字表記をどうにかせにゃーとふとインターネット上の名前の意味検索などを調べてみましたら。
Jahiroって思い切りアラビア語圏男子のファースト・ネームじゃん。Jahyroも同じく。マジー? Facebookなどでこの名を名乗る人物もみんな濃ゆい顔の男子ばかり〜(汗)
そもそもこのジャハイロ、海外でわたしの本名をどう読み間違えたか「Mrs. ジャハイロ」と呼ばれ、本人しばらく気づかなかった、というエピソードをもとに考えた活動名でして(将来の野望はともかく、いまのところ会社員なので、本名まんまだと色々メンドーというかアレかなーと活動名をでっちあげたわけです)。
なに人か不明で怪しい音の響きがけっこう気に入っていたのですが、アラブ圏ヒゲおやじを想像されては、わたしの清楚で可憐な乙女イメージが崩れるのではなかろうか。
しかし、Boy's nameのあとに、Girl's name: Jahira と書かれているではありませんか。もはやこちらに改名するしか、わたくしの女子としてのイメージを守ることはできなさそうです。
というわけで、突然ですが、名乗って1週間ではや改名いたします次第でございます。
おそらくJahiraの読みはジャハイラではないと思うのですが、そのへんはまあよしとします。ちなみにアラビア語の意味は「宝石」だそうです。あらステキ♪
とことんクミン大研究!
あな吉校長先生のレシピにもところどころ登場するスパイス、クミン。先日の卒業制作発表会に参加された方から、そしてわがプロスク同期生からも、
「クミンが使い切れない……(はぁ)」
というため息まじりのお悩み(?)をお聞きしまして。わたくし! 決心いたしましてよ!
とことん、クミンを分析し、どうしたらもっと親しみやすく、日常使いができ、買ってしまった瓶の中身を使いきれるのか、研究する決意を固めたのです!
とはいってもそんなにダイソレタ話でもなく、ジャハイロ家はフツーにクミンが一定の期間で消費されていくので、実際のところ、わたしがどうやって使っているのか? それをほかのヒトが応用するにはどうしたらいいのか? を研究していけばよいのではないかと思うのでした。
↓ たとえばこんな風に使っています ↓

♪ スパイス風味マッシュポテト ♪
蒸してあったジャガイモをつぶし、ターメリックと塩を混ぜ込んでから、菜種油で熱したヒングとマスタードシードとクミンシードをジュワっと全体にまわしかけ(テンパリング(タルカ)という手法です)、ざっくりと混ぜる。
これはこのままでもおいしいので、ひとまず娘のおやつに回し(貪り食べます)、このあとサモサの具にしました。
クミンはともかく、ターメリックって? ヒングって? マスタードシードって? っていうかテンパリングってなによ? とハテナがいっぱいだったらすみません(笑)。
今後は、クミンだけ単品の使い方大研究をご紹介しながら、こういった耳慣れないスパイスの紹介もしていきたいと思います!
ちなみに皆さん、気づいてました?
クミンパウダーって、クミンシードからつくれちゃうんですよ。だって、丸のままの種ですもん。挽いたら粉、ですわよね。うふふ。
フライパンで少し色づくまで乾煎りしたクミンシードを、ミルサー(我が家はマジックブレットを使います)でガーしてみてください。香り豊かなクミンパウダーのできあがり! です。
ミルサーがない場合はすり鉢でもいけますが、においがバッチリ移ってしまうので、100円均一などでスパイス潰し専用のものを買うといいかもしれません。
それではみなさま、よい一日を!
「クミンが使い切れない……(はぁ)」
というため息まじりのお悩み(?)をお聞きしまして。わたくし! 決心いたしましてよ!
とことん、クミンを分析し、どうしたらもっと親しみやすく、日常使いができ、買ってしまった瓶の中身を使いきれるのか、研究する決意を固めたのです!
とはいってもそんなにダイソレタ話でもなく、ジャハイロ家はフツーにクミンが一定の期間で消費されていくので、実際のところ、わたしがどうやって使っているのか? それをほかのヒトが応用するにはどうしたらいいのか? を研究していけばよいのではないかと思うのでした。
↓ たとえばこんな風に使っています ↓

♪ スパイス風味マッシュポテト ♪
蒸してあったジャガイモをつぶし、ターメリックと塩を混ぜ込んでから、菜種油で熱したヒングとマスタードシードとクミンシードをジュワっと全体にまわしかけ(テンパリング(タルカ)という手法です)、ざっくりと混ぜる。
これはこのままでもおいしいので、ひとまず娘のおやつに回し(貪り食べます)、このあとサモサの具にしました。
クミンはともかく、ターメリックって? ヒングって? マスタードシードって? っていうかテンパリングってなによ? とハテナがいっぱいだったらすみません(笑)。
今後は、クミンだけ単品の使い方大研究をご紹介しながら、こういった耳慣れないスパイスの紹介もしていきたいと思います!
ちなみに皆さん、気づいてました?
クミンパウダーって、クミンシードからつくれちゃうんですよ。だって、丸のままの種ですもん。挽いたら粉、ですわよね。うふふ。
フライパンで少し色づくまで乾煎りしたクミンシードを、ミルサー(我が家はマジックブレットを使います)でガーしてみてください。香り豊かなクミンパウダーのできあがり! です。
ミルサーがない場合はすり鉢でもいけますが、においがバッチリ移ってしまうので、100円均一などでスパイス潰し専用のものを買うといいかもしれません。
それではみなさま、よい一日を!
とうふチャパティ焼き方編
えーと。形がイビツなのはご愛嬌でお許しください。
このときは、この子が一番きれいに膨らんでくれたのです……。
このときは、この子が一番きれいに膨らんでくれたのです……。
こんにちは、ジャハイラ・ミキです♪
皆さん、初めまして。ゆるベジスパイス料理研究家(の卵・兼会社員)ジャハイラ・ミキです。
ゆるベジ料理研究家の朝倉ユキ(あな吉)さん主宰の「ゆるベジプロフェッショナルスクール」第一期生として、2011年4月から9ヶ月に渡って、「レシピがつくれる人」としての勉強をしてきました。
5歳年下の夫と2009年生まれの娘との3人暮らしで、普段はフルタイムの会社員として働く母ちゃんをやっています。
「ゆるベジとは何か」については、ひとまずは師匠のサイトを見ていただくとして、いずれわたしなりの「ゆるベジとその理由」について語りたいと思います。
30代後半のいまはフツーに真面目に会社員なんてやっていますが、わたし、ちょっと前まではバッリバリのバックパッカーでした。20代のかなり長い時間を、リュック背負って世界中を旅していたんです。
なかでもとりつかれたようにハマっていたのが、インド。
もともと大学時代に外国語と外国文化を学ぶ大学にいたせいか、バイトでお金を貯めては旅行に行く学生生活を送っていました。
就職も当然のように、ちょっと変わった秘境にお客様をご案内する旅行会社。
添乗員として、たくさんのお客様と、主にインドに行きました。それはもう、東西南北隅々まで。
しかし、あまりのハードワークに、その会社を1年足らずで退社し、
最初は3ヶ月のつもりで出かけた、すっかり馴染みのインドにて、友人のお母さんがつくってくれた家庭料理のあまりの美味しさに愕然。
映画や音楽や舞踊にも魅せられ、知人が亡くなったり、手痛い失恋をしたり(!)、色々あってインドにすっかりどっぷりハマり、気づけばガンジス河のほとりにアパートまで借りていました。
このブログのタイトル「マサラとゆるベジのシャンティごはん」の「マサラ」とは、とても端折っていうと、インド料理におけるスパイスのことを意味します。
スパイスというと、とても辛いというイメージがあるかと思うのですが、実際は辛味のあるスパイスは数種類しかありません。
そのほかにも、ほんのり甘かったり、ちょっと酸っぱかったり、時には香ばしかったり。
スパイスにはいろいろな種類があり、そのどれもが特徴的で、かつ、体調を整える薬としての効能もあるのです。
インド家庭料理に魅せられ、その味を再現したいと本を読んだり、インド人のお母さんに訪ねたりしているうちに、「マサラって人生みたいだなー」と思うようになりました。
インドと、お金がなくなって日本に出稼ぎに帰る途中に寄るタイのバンコクと、短期バイトをする東京をぐるぐる行ったり来たりする生活が3年ほど続いたあと、またまた色々と波乱があって、イギリスに渡り、またまた色々と波乱があって(いやーもうホントにまいっちゃう)、イギリスで2年半を過ごし、帰国。
5年ぶりの日本で偶然ありついた仕事は、とっても真面目な別世界でした。
世の中インド基準でもビンボー放浪旅基準でも動いていないことに、30歳過ぎて気がつきました。
もうインドの「イ」の字も口にできません。
でも、久しぶりの月給サラリーマンですから、お金がありがたくてありがたくて、
一生懸命、働きました。
そのうちに報道カメラマンの卵の夫と結婚し、子どもも生まれて、すっかり落ち着いたように思えた今日このごろですが。
インドと、インド料理と、そのスパイスには、相変わらず首ったけです。
わがやの台所には、塩・胡椒と同じレベルでスパイスくんたちが並んでいます。
あ、あともうひとつ、「シャンティ」について。
古代〜中世インドの言語サンスクリット語(梵語)で、「平和・祈り」といった意味だそうです。
ヨーガの最後に唱えたり、人の名前になっていたりします。
自分が生まれた国、日本が、原発やホーシャノー汚染に揺れる昨今、
わたしは何ができるか? 何をしたいのか? を自らに問うたとき、
答えは「子どもがお腹を空かせず、怯えず、ただノーテンキに明るい未来を想像していられる世界を実現できるようなことをしていたい」でした。
世界各地で、お腹を空かせた子どもを見ました。
お腹が空くと、人間なんでもします。
それは人間のすることではないよ、という場面に何度も遭遇しました。
ときにはわたし自身が、相手を拒否してしまったこともありました。
世界中いろいろな土地に行きましたが、インドでは、何者かに自分の器の大きさを
試されているような気がすることが多々ありました。
そしてそれは遠い異国の誰か知らない人の話ではない、と強く思います。
温暖で、努力せずに作物が育ち魚がジャンジャカとれるような土地では、人は穏やかで、子どもは伸び伸びしています。
よい食を与えられていれば、人は、幸福なのです。
昨今、特に震災・原発事故後の日本は、人は穏やかで、子どもは伸び伸びしていますか?
「まんが日本昔話」のエンディングのように、「いいな、いいな、にんげんっていいな」と歌えますか?
わたしは心から素直に歌えません。娘が好きなのでこの歌はよく歌いますが、歌うたびになんだかやるせなくなり、怒りがこみ上げてきます。
特に原発事故と、それがもたらした環境への影響と、食の安全に関する脅威については、腹立たしいことがたくさんあります。
どこかわたしが暮らしやすい安住の地を探しに、家も仕事も捨てて、また旅に出ようかとも思います。
けれど、そこに人間がいて社会がある限り、逃げ出した先が完璧な理想郷足り得ないのも、わたしは知っています。
わたしはまだ、日本に希望を見出したいのです。
自分の娘や、子どもたちが大人になったとき、四季がうつくしく、海のものも山のものもおいしく、情の細やかな人々が暮らす、そんな日本であってほしい、と願うのです。
外国暮らしが長かったぶん、日本の駄目なところもよく目に付きますが、よいところも身に沁みます。
子どもが子どもらしく、莫迦みたいに遊んで笑って泣いて甘えて。
おいしいおやつと、ほかほかごはんを食べて。
にんげんっていいな、と、いつか思えるような、日本を、
「シャンティ シャンティ」と呟きながら、望みます。
そして「ゆるベジ」という考え方は、その実現に大きく貢献できると信じています。
壮大すぎますか? そうですよねえ、壮大すぎますわねえ。
でも、大真面目です。
美味しいインド料理は、マサラがほどよいバランスで、辛くて甘くて酸っぱくて香ばしいのです。
そんな風に、わたしは、自分の人生も、できることなら人の人生の端っこも、美味しく味付けしたいのです。
子どもがお腹を空かせず、怯えず、ただノーテンキに明るい未来を想像していられる世界の実現を祈って
ゆるベジプロフェッショナルスクール卒業制作・一般発表会の日に
2011年11月26日
ジャハイロ・ミキ
*2011年12月1日 ジャハイロからジャハイラに改名
ゆるベジ料理研究家の朝倉ユキ(あな吉)さん主宰の「ゆるベジプロフェッショナルスクール」第一期生として、2011年4月から9ヶ月に渡って、「レシピがつくれる人」としての勉強をしてきました。
5歳年下の夫と2009年生まれの娘との3人暮らしで、普段はフルタイムの会社員として働く母ちゃんをやっています。
「ゆるベジとは何か」については、ひとまずは師匠のサイトを見ていただくとして、いずれわたしなりの「ゆるベジとその理由」について語りたいと思います。
30代後半のいまはフツーに真面目に会社員なんてやっていますが、わたし、ちょっと前まではバッリバリのバックパッカーでした。20代のかなり長い時間を、リュック背負って世界中を旅していたんです。
なかでもとりつかれたようにハマっていたのが、インド。
もともと大学時代に外国語と外国文化を学ぶ大学にいたせいか、バイトでお金を貯めては旅行に行く学生生活を送っていました。
就職も当然のように、ちょっと変わった秘境にお客様をご案内する旅行会社。
添乗員として、たくさんのお客様と、主にインドに行きました。それはもう、東西南北隅々まで。
しかし、あまりのハードワークに、その会社を1年足らずで退社し、
最初は3ヶ月のつもりで出かけた、すっかり馴染みのインドにて、友人のお母さんがつくってくれた家庭料理のあまりの美味しさに愕然。
映画や音楽や舞踊にも魅せられ、知人が亡くなったり、手痛い失恋をしたり(!)、色々あってインドにすっかりどっぷりハマり、気づけばガンジス河のほとりにアパートまで借りていました。
このブログのタイトル「マサラとゆるベジのシャンティごはん」の「マサラ」とは、とても端折っていうと、インド料理におけるスパイスのことを意味します。
スパイスというと、とても辛いというイメージがあるかと思うのですが、実際は辛味のあるスパイスは数種類しかありません。
そのほかにも、ほんのり甘かったり、ちょっと酸っぱかったり、時には香ばしかったり。
スパイスにはいろいろな種類があり、そのどれもが特徴的で、かつ、体調を整える薬としての効能もあるのです。
インド家庭料理に魅せられ、その味を再現したいと本を読んだり、インド人のお母さんに訪ねたりしているうちに、「マサラって人生みたいだなー」と思うようになりました。
インドと、お金がなくなって日本に出稼ぎに帰る途中に寄るタイのバンコクと、短期バイトをする東京をぐるぐる行ったり来たりする生活が3年ほど続いたあと、またまた色々と波乱があって、イギリスに渡り、またまた色々と波乱があって(いやーもうホントにまいっちゃう)、イギリスで2年半を過ごし、帰国。
5年ぶりの日本で偶然ありついた仕事は、とっても真面目な別世界でした。
世の中インド基準でもビンボー放浪旅基準でも動いていないことに、30歳過ぎて気がつきました。
もうインドの「イ」の字も口にできません。
でも、久しぶりの月給サラリーマンですから、お金がありがたくてありがたくて、
一生懸命、働きました。
そのうちに報道カメラマンの卵の夫と結婚し、子どもも生まれて、すっかり落ち着いたように思えた今日このごろですが。
インドと、インド料理と、そのスパイスには、相変わらず首ったけです。
わがやの台所には、塩・胡椒と同じレベルでスパイスくんたちが並んでいます。
あ、あともうひとつ、「シャンティ」について。
古代〜中世インドの言語サンスクリット語(梵語)で、「平和・祈り」といった意味だそうです。
ヨーガの最後に唱えたり、人の名前になっていたりします。
自分が生まれた国、日本が、原発やホーシャノー汚染に揺れる昨今、
わたしは何ができるか? 何をしたいのか? を自らに問うたとき、
答えは「子どもがお腹を空かせず、怯えず、ただノーテンキに明るい未来を想像していられる世界を実現できるようなことをしていたい」でした。
世界各地で、お腹を空かせた子どもを見ました。
お腹が空くと、人間なんでもします。
それは人間のすることではないよ、という場面に何度も遭遇しました。
ときにはわたし自身が、相手を拒否してしまったこともありました。
世界中いろいろな土地に行きましたが、インドでは、何者かに自分の器の大きさを
試されているような気がすることが多々ありました。
そしてそれは遠い異国の誰か知らない人の話ではない、と強く思います。
温暖で、努力せずに作物が育ち魚がジャンジャカとれるような土地では、人は穏やかで、子どもは伸び伸びしています。
よい食を与えられていれば、人は、幸福なのです。
昨今、特に震災・原発事故後の日本は、人は穏やかで、子どもは伸び伸びしていますか?
「まんが日本昔話」のエンディングのように、「いいな、いいな、にんげんっていいな」と歌えますか?
わたしは心から素直に歌えません。娘が好きなのでこの歌はよく歌いますが、歌うたびになんだかやるせなくなり、怒りがこみ上げてきます。
特に原発事故と、それがもたらした環境への影響と、食の安全に関する脅威については、腹立たしいことがたくさんあります。
どこかわたしが暮らしやすい安住の地を探しに、家も仕事も捨てて、また旅に出ようかとも思います。
けれど、そこに人間がいて社会がある限り、逃げ出した先が完璧な理想郷足り得ないのも、わたしは知っています。
わたしはまだ、日本に希望を見出したいのです。
自分の娘や、子どもたちが大人になったとき、四季がうつくしく、海のものも山のものもおいしく、情の細やかな人々が暮らす、そんな日本であってほしい、と願うのです。
外国暮らしが長かったぶん、日本の駄目なところもよく目に付きますが、よいところも身に沁みます。
子どもが子どもらしく、莫迦みたいに遊んで笑って泣いて甘えて。
おいしいおやつと、ほかほかごはんを食べて。
にんげんっていいな、と、いつか思えるような、日本を、
「シャンティ シャンティ」と呟きながら、望みます。
そして「ゆるベジ」という考え方は、その実現に大きく貢献できると信じています。
壮大すぎますか? そうですよねえ、壮大すぎますわねえ。
でも、大真面目です。
美味しいインド料理は、マサラがほどよいバランスで、辛くて甘くて酸っぱくて香ばしいのです。
そんな風に、わたしは、自分の人生も、できることなら人の人生の端っこも、美味しく味付けしたいのです。
子どもがお腹を空かせず、怯えず、ただノーテンキに明るい未来を想像していられる世界の実現を祈って
ゆるベジプロフェッショナルスクール卒業制作・一般発表会の日に
2011年11月26日
ジャハイロ・ミキ
*2011年12月1日 ジャハイロからジャハイラに改名
ご質問等への返事について
とても心苦しいのですが、このブログは、コメントやトラックバックができない設定にしています。
お返事ができる時間が限られているため、ブログ記事へのコメントやご質問等は、Twitterに一本化することにしました。Twitterでしたら通勤時間やちょっとした隙間時間に携帯から操作がしやすいからです。
Twitterアカウントは masala_days です。
ご不便をおかけしてすみませんが、よろしくお願いいたします。
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ジャハイラ・ミキの生まれと育ち
1974年 神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。
1977年〜1980年 父親の仕事の都合で、ブラジル・サンパウロで過ごす。
小学校・中学校は地元にて過ごす。
高校は、自由な校風で語学教育に力を入れていた、いまはなき神奈川県立外語短期大学付属高校へ。
1993年 早稲田大学第一文学部入学
ほとんど通わないまま、翌年3月、中退。
1994年 東京外国語大学東南アジア語学科インドネシア語専攻入学
1年休学してマレーシア・ペナン島のマレーシア科学大学に語学留学。
インドネシア語のあまりの落ちこぼれっぷりで、1年留年。
東南アジア、南アジア、ヨーロッパなどをバックパッカーとしてビンボー旅行する。
第二言語のフランス語の単位を落としたり、まさかの失態続きで6年かかって卒業。
2000年 秘境系旅行会社に入社
1年足らずで退職。退職後も、フリーの添乗員として同社のツアーに添乗しては自分の旅行資金を稼ぐ。
この頃から本格的にインドにハマり出す。
2001年 インド・バナーラスで、ガンジス河が見える、火葬場の隣のアパートを借りる。色々あって、世界を股にかけて右往左往。
2004年 イギリスへ渡る。後半は日本語教師養成の学校に通い、現地の学校で教育実習などを経験。
2006年 陸路と海路で3週間かけて日本に帰国。バイトのつもりで受けに行った面接で、ひょんなめぐり合わせで正社員に。
2009年 結婚して子どもを授かる。
そして、いまココです♪
1977年〜1980年 父親の仕事の都合で、ブラジル・サンパウロで過ごす。
小学校・中学校は地元にて過ごす。
高校は、自由な校風で語学教育に力を入れていた、いまはなき神奈川県立外語短期大学付属高校へ。
1993年 早稲田大学第一文学部入学
ほとんど通わないまま、翌年3月、中退。
1994年 東京外国語大学東南アジア語学科インドネシア語専攻入学
1年休学してマレーシア・ペナン島のマレーシア科学大学に語学留学。
インドネシア語のあまりの落ちこぼれっぷりで、1年留年。
東南アジア、南アジア、ヨーロッパなどをバックパッカーとしてビンボー旅行する。
第二言語のフランス語の単位を落としたり、まさかの失態続きで6年かかって卒業。
2000年 秘境系旅行会社に入社
1年足らずで退職。退職後も、フリーの添乗員として同社のツアーに添乗しては自分の旅行資金を稼ぐ。
この頃から本格的にインドにハマり出す。
2001年 インド・バナーラスで、ガンジス河が見える、火葬場の隣のアパートを借りる。色々あって、世界を股にかけて右往左往。
2004年 イギリスへ渡る。後半は日本語教師養成の学校に通い、現地の学校で教育実習などを経験。
2006年 陸路と海路で3週間かけて日本に帰国。バイトのつもりで受けに行った面接で、ひょんなめぐり合わせで正社員に。
2009年 結婚して子どもを授かる。
そして、いまココです♪
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